妹尾あいこ Seno Aiko

 今日のテーマは、「妹尾あいこ」です。

 古来より、主人公キャラの性格構成には、ある法則性があります。

 まず、No.1は熱血で実直。どれみはコレに近いです。No.2はクールで知的。はづきも、まぁどちらかといえばそっち系のキャラでしょう。

 そしてあいこのポジションたるNo.3の特徴は…太った力持ち。

T>おい!!

 要するに体育会系、頭ちょっと弱い系です。

T>失礼だよ!!

 しかし、実際はそうでない辺りが、あいこの魅力であるのだと思います。

 まず、彼女が妹尾家の家事を一手に担う主婦であるということ。主婦業というのは侮れません。毎日の食事一つとっても、栄養のバランスを考え、その上で家計をやりくりしなければならない。それを既に、小3の頃からやってのけていた。

 学校の成績こそ体育が得意というタイプの彼女ですが、決して頭は悪くない。むしろ、はづきとは違う意味で豊富な知性を持っているのだと言えます。

 どちらかといえば、ホンジャマカ・石塚氏というより伊集院光氏に近いキャラだと言えるでしょう。

T>わかりにくいぞ、その例え。

 そして、やはり外せないのがその繊細さ。いわゆるお転婆、まぁ既に死語ですが、決して女の子らしくないキャラ。それがあいこであるはずなのに、家族のこととなるや急にしおらしくなる。離婚した両親の復縁を常に願っているのに、口に出せない。普段は物事をはっきり言う性格なのにも関わらず。

 つまりこれは、人様のことはいくらでもツッコめるが身内には甘い、と。

T>そういうことじゃねぇんだよ!!

 SOSたちにやるように、「ええ加減により戻せや!!」とお父ちゃんをハリセンでブッ叩きそうなものなのですが。

T>そんなあいこ嫌だよ!

 とてもそうはできない辺りが、普段見せないあいこの女の子らしさを一層際立てる。我々があいこから目を離せないのも、それが大きな要因の一つであるように思います。

 …何と計算高い少女でしょう。

T>それも違う!

 妹尾家のエピソード、すなわち自分がメインの話でしか着ないいわゆる「勝負服」で、わざわざ髪型まで変えているのも、「いつもと違う私」を演出して自分の存在をアピールしているのでしょう。誰に対してアピールしてるのかは知りませんが。

T>そこはほっといてやれよ!

 まさに、キャラ売り込み戦術ここにあり、といった感じです。さすがはナニワの商人、緻密な計算です。おんぷもかくやというほどの。

T>意識してやってるわけじゃねぇんだよ!

 もっとも、この滑稽なまでの自己PRも、普段目立てないはづきの二の舞だけは踏むまいという彼女の必死の抵抗なのでしょうが。

T>その話もやめろ!

 いっそのこと、はづきの家庭も見事に崩壊してくれたほうが、もっと目立てるかもしれません。

T>そこまでして目立ちたかねぇだろ!

 天然属性を奪ったももこに対する雪辱を、あいこで晴らす。はづきも恐ろしい女です。

T>一番恐ろしいのはお前だ!

 かような戦術をもって、我々を魅了してやまないあいこ。しかし、彼女はここで一つの致命的なミスを犯しています。

 確かに、彼女は大人気です。人気投票でもどれみとの血で血を洗うバトルの末、1位をキープし続けています。今や誰もが自分はあいこファンだと言い、レオンファンは立つ瀬もありません。

T>あんまり聞いたことないけどな。レオン単独のファンって。

 もはや彼女は『どれみ』という作品においては、まさにNo.1の人気を誇る最強キャラです。

T>そこまで凄かったか?

 …大きなお友達にとっては

T>言うと思ったよ!

 本来の視聴者層へ媚びることを忘れてしまった。この詰めの甘さが、職業的にキャラ売り込み戦術を身に着けているおんぷとの決定的な違いでしょう。

T>媚びたって子供の人気は集まらないと思うぞ。

 多くのあいこファンは言います。あいこをお嫁さんにしたい、ご飯を作ってくれ、いや結婚している、同棲してる、と。誰もがお付き合いからではなく、いきなり結婚したいと言っているのです。

T>いいじゃねぇかよ、細かいことは。

 時々は「愛人にしたい」という、ささやかな願いを持っているかたもいますが。

T>ささやかなのか、それ。

 しかし私がここで考えるのは、あいこのタイプがどんな性格の人間なのか、ということです。『無印』であいこに目をつけた柏木豊というキャラが登場しましたが、いかにも実直そうな彼を、あいこはものの見事にフッています。数多のあいこファンは胸をなでおろしたでしょうが、その理由は「ギャグのセンスがないから」。中々どうして、高いハードルです。

 ですがその一方で、彼女は『♯』でのレオンとの初顔合わせの時も、「チャラチャラした男は嫌い」とめいいっぱい毛嫌いしています。数多のあいこファンはおおいに共感したでしょうが、だったらどんなタイプの人間に、彼女は心惹かれるのでしょうか。

 …私は、それがあの甲斐性なしでだらしなくて短気で素直じゃなくて競馬でスッテンテンになる「お父ちゃん」のようなタイプではないかと思うのです。

T>そこまで言うなよ!

 子供というものは幼少の頃から、男の子なら母親を、女の子なら父親を愛するそうです。生まれて初めて接する異性だからなのか、自分のないものをそこに求めているのか、それはわかりませんが、「初恋の人が実は親に似ていた」、「結婚相手が親のようなタイプだった」とかいう例は少なくないそうです。

 例えば、どれみにとっての小竹。渓介とは髪型つながりです。

T>そういうことじゃねぇだろ。

 これを医学用語で、ファザコンと言うそうです。

T>そのまんまじゃねぇかよ!! そんなわけあるか。

 失礼、「シナップス・シンドローム」と言います。

T>それも違う! 『ガンダムX』の人工ニュータイプの後遺症なんて誰が覚えてるんだよ!

 この2つを足して2で割ったのが、「オイディプス・コンプレックス」です。

T>全く関係ねぇよ。特に後のほうは。

「オイディプス・コンプレックス」。前述のように異性の親を愛し、さらに同性の親を憎むのが「陽性エディプス・コンプレックス」。そしてその逆が「陰性エディプス・コンプレックス」。実際には、この陽性と陰性がごっちゃになっているのが子供の心理状態だそうです。

 そしてそれを乗り越えた時、子供は真の意味で"大人"になるのだ、とも。子供はいつしか親のように行動するようになります。両親の行動を模倣し、それが自らの行動理念・倫理の基礎となる。まさに子供とは両親の映し鏡であり、"意志"を受け継ぐ存在。しかし、それだけではありません。

 子供とは、親を乗り越えるべく存在。さらにその上へと駆け昇っていく存在です。親は人生で初めて愛する存在であり、また同時に人生で初めて乗り越えねばならない存在なのです。

 その覚悟が、あいこにあるのでしょうか。

 私はかねてから疑問に思っていたことがありました。あいこのごくごく初期の設定には、「時には夢見がちな一面もある」という一文があったのです。しかし、それを示唆する描写は本編中なかなか出てこない。しかし、ある時私は気づきました。彼女の見ている"夢"とは、まさに家族の愛情なのではないかと。母親から受けるはずだった愛情を、ずっと欲している。そのことを指しているのではないかと。

 人はそれを失って初めて、その存在の大切さに気づく。あいこは「両親」との幸せな生活を失ったことで、その昔の姿を追い求めるようになった。2人と手をつないで歩いていたあの頃。彼女が求めているのは、本当はその過ぎ去った過去なのかもしれません。もっともそれも当たり前です。彼女はまだ小学生なのですから。

 ですが、彼女にとって悲劇なのは…"主婦"としての生活から、そして何より両親の別離を経たことで、世の中を少々知ってしまったことです。ちょっと大人になってしまった…大人になってしまったような気がするからこそ、父親の事情も母親の事情も察してしまう。だから、本音が言えない。普段のズバズバ物事を言う性格が、この件に関しては全く出てこないのは、こういった理由があるからなのでしょう。

 考えてみれば、こんな矛盾もありません。大人なのに、自分の希望を明確に表すことができない。その姿たるや、はづき以上かもしれません。

 彼女はMAHO堂の中で一番大人であり、かつ、一番子供である。

 そんな矛盾を抱えた彼女が今せねばならぬことは、"親"を知ること。それに尽きるのではないでしょうか。彼女の両親が復縁するか、それともこのままになってしまうか、それはわかりません。が、少なくとも彼女が求めているもの全てを、その「お父ちゃん」と「お母ちゃん」が持っているのではない。親は愛情だけを与えてくれる存在では、決してないのです。

 あくまでも自分が求めているものは"夢"でしかない。いや、"幻想"でしかない。それを彼女がどこまで気づいているかによって、彼女のこれからの人生は大きく左右されることでしょう。

 両親との生活から、人は一番最初に人間関係を学ぶ。将来彼女が家を出てひとり立ちした時、全ては試されることでしょう。親とは、社会そのものなのですから。

 そして彼女は気づくでしょう。両親との確執を乗り越えたその時、自分の出番が全くなくなっていることに

T>そこに戻っちゃうのかよ!

 平和だが平凡な生活。どっかのお嬢様みたいに出番のない生活。やがて彼女は思うでしょう。ああ、両親が別離していた時が、自分の人生の華だったなぁと。

T>思わねぇよ!

 人はそれを失って初めて、その存在の大切さに気づくのです。

T>だからそうじゃねぇんだよ!

 全ての出番を失った時、彼女はどうやって生きていくのか。きっと、満足そうにこう言って笑うのでしょう。「まぁ、これもアリやな」と。

 以上、コラムでした。


公開日:2002年10月14日