工藤むつみ Kudo Mutsumi

 うぉらっしゃうぉらっしゃ、うぉらっしゃ。

T>いや、ちょっと待て。どこの言葉だよそれは!

 おっと失礼。「うぉらっしゃ」と聞いても、わからないかたもいらっしゃることを忘れていました。

T>だよな。最初聞くと、何のことかわかんないよな。

「うぉらっしゃ」とは、設定資料集に載っていた、工藤むつみの表情集の中で書かれていた台詞です。しかし、一度たりとも本編で使われたことはありません

T>そうなんだよな。

 そう、今日のテーマはその「工藤むつみ」です。今日は六月二三日。これをカタカナに直すと、「ロク・ニイ・サン」。

T>「ム・ツ・ミ」だろ! そのまんまじゃねぇかよ。

 二・二八事件ではありません。

T>わかってるよ。

 日本には三人の「工藤」さんがいます。『探偵物語』の工藤俊作。『名探偵コナン』の工藤新一。そして、新一の父親の工藤優作

T>そこはむつみって言ってやれよ! 大体何で親父が出て来るんだよ。

 世界的なミステリ作家なので。

T>関係ねぇよ。

 ちなみに母親の工藤有希子は、かつては世界的な美人女優で変装術に長け…

T>
もういいよ!

 こうして見ると、「工藤」の姓には、どうやら探偵ものとかミステリものとかに、深い因縁があるような気がします。

T>ダイエーの工藤とかはどうなるんだよ。

 ならば彼女も、その後を継ぐのでしょうか。

T>それはないんじゃないか?

 となればやはり今わの際には、「なんじゃこりゃあ、ジュピターにはいつ着くんだ」と。

T>『太陽にほえろ!』と『蘇える金狼』がごっちゃになってんじゃねぇかよ。しかも工藤俊作じゃなくて、松田優作の話になってるし。

 そう、リングの上で叫ぶに違いありません。
 
 さて、工藤むつみ。彼女は決して主人公ではありません。むしろクラスメートキャラの中でも、それ程出番が多いわけではありません。何せ彼女、『♯』では一言も喋りませんでした

T>放っといてやれよ!

 そうであっても、我々を魅了してやまない彼女。それは何故でしょうか。

 それを検証する前に、とりあえず辞書を引いて見ました

T>何だよ急に!

 おそらく彼女の「むつみ」という名前は、「仲睦まじい」の「睦む」という言葉から取られたのでしょう。その意味は、非常に仲がよい有り様。どう考えても、名が体を全く現していません

T>そんなことないよ!

 あたり構わず男子にプロレスの勝負を挑み、再起不能になるまで叩きのめす。

T>どこの誰だよ、それは!

 恐ろしい小学生です。

T>お前が恐ろしいよ。

 しかしそれでも、彼女は好かれることすれ、嫌われることはありません。何故なら、彼女は体育会系であり、格闘家だからです。拳と拳で語り合い、身体と身体をぶつけ合うことで、互いを理解しあう。それが真の格闘家なのです。私も同じ人種なのでよくわかります。

T>ウソつくなよ!

 勝負は勝負として、きちんと戦う。しかしそれが終われば、きれいさっぱり元通り。そこには恨みなど決して残らず、友情だけが残る。

 そんな風に、対戦相手を次々と洗脳していく。

T>違うよ!

 拳で頭をバカスカ殴って。さすが格闘家です。

T>いや、そうじゃねぇんだ。格闘家ってのは。

 あるいは、暴力で相手を屈服させる。そういうことでしょう。

T>全然違うよ! お前が一番わかってねぇよ。

 そんな彼女に、どうして我々はここまで魅了されるのか。そこには『おジャ魔女どれみ』という作品の、"どれみ"たる所以が、隠されているように思います。

 考えてみてください。これまでの『どれみ』において、数多く語られたクラスメートエピソードの中で展開された、その設定の深さを。演出の細かさを。

 例えば、彼女の真のライバルと噂される奥山なおみ。略して「奥山さん」。

T>別に略してねぇだろ。絶対にいつも「さん」付けだけどな。


 ちなみに彼女、今現在『ドッカ〜ン!』にはまだ登場してません

T>だから余計なこと言うなよ!

 彼女の設定も深いです。背の高い女子。人より早く成長してしまうことにジレンマを感じる女子。よく聞く話です。ベタベタです

T>そんな言いかたねぇだろ。

 しかし…そのよく聞く話を、これ以上ないくらいきめ細やかに描く。それが"どれみ"の凄さであることは、今さら言うまでもありません。

 そしてその凄さの結晶となったのが…工藤むつみなのです。

 考えてもみてください。クローズアップされる主人公、すなわち数少ない特定の人物だけにたくさんの設定を与えられ、その他のキャラは有象無象。そんなことは、我々の日常生活ではありえません。人は誰しも、多かれ少なかれ事情を抱えています。主人公だからそれをたくさん持たされ、サブキャラは持っていない。そんなことがあっていいのでしょうか。

 都会にはたくさんの人間が集まります。新宿、渋谷、原宿…どこからそんなに集まってきたんだ、そう思うくらい、人ゴミだらけです。しかし…「人ゴミ」という言葉もひどい話です。そこに歩いている人は皆、それぞれの人生を歩んできたのです。大小の事情を抱え、そこを歩いている。それを「ゴミ」などという言葉で片付けてはいけません。

T>むつみはどこに行っちゃったんだよ!

 その点、"どれみ"という作品はきちんと全てを描いています。道行く人全てに、細かい設定をつけている。

T>そうか?

 他のアニメでは、コロニー落としの被害にあった「通行人A」と同じくらいの扱いを受けるはずの…

T>極端すぎるよ!

 キャラクターまでも、細部にわたるまで描いている。

 その象徴が、「工藤むつみ」なのではないか。私はそう考えます。プロレス好きという有名なものから、兄への対抗心、強い女性への憧れ、女の子であるが故のジレンマ、果ては結局使われてない「家は洋服屋」という設定まで、細かく決められている。

 それは既に、「サブキャラ」という枠に収まりきらない可能性を秘めています。主人公に匹敵するくらい、そのバックボーンが描かれているのです。決して通行人、単なる背景などではありません。そこでちゃんと、キャラクターが生きているのです。

 そうでなければ、ここまでの多くのファンが、彼女につくはずはないのです。

 誰もが、「主人公」となる可能性を秘めている。終いには、主人公の座を奪い取ってしまう可能性すら抱かせてしまう。いや、彼女は既に主人公なんじゃないか。そう思えてしまうのも無理はありません。

 それこそが"どれみ"であり、その世界観が生んだ最高のバイプレーヤーが「工藤むつみ」ということなのですから。

 …まぁ、もっとも。だからこそ、時々30分番組とは思えない程詰め込みすぎな話が出来上がったりしてるですが。

T>何だよいきなり!

 設定が多ければ、それだけ語る話が多くなる。結果全てを描こうとして、話の収拾がつかなくなる。話の焦点を絞るということができなくなる

T>お前が言うなよ!

 設定は、ただ単に多ければいいというものではありません。そんな中で、良質なエピソードを過不足なく描かれ、大成功を収めた主役話を得られた工藤むつみは、真に世界一幸運な美少女なのかもしれません。

 以上、コラムでした。


公開日:2002年06月23日