『一年越しのFriends』Chapter_3 (作・neneさん)

『一年越しのFriends』

///////////////////////////////////////////////告白////////////////////////////////////////////////

 隣のマンションすら霞んで見える程の大きな建物。
 数台分の余裕が見られる幅広い車庫。
 城門のように大きな扉。
 サッカーグラウンド程はある庭の、隅々までお手入れされた跡。
 周囲に圧倒的な存在感を示すこの存在を目の前に、自然と矢田は一歩下がる。
「…やっぱオレ帰る。」
「ダメよ!そんなに濡れちゃったまま帰っちゃったら風邪になっちゃうわ。」
 そのまま帰ろうとする矢田を掴み、思いっきり門を開けるはづき。すると、室内から大きな声が轟く。虎に
睨まれたかのような迫力に、腰が抜けそうになる矢田。
「お帰りな…!?…はづきお嬢様!?なぜお家に戻られたのですか?」
「そんな事はいいから、早くまさる君をお風呂に入れてあげて。このままじゃ風邪ひいちゃうわ。」
「しかしはづきお嬢様も相当…」
「私はいいから、早くして!!」
 自分の胸ほども背の無いおばあちゃんにはづきは大声を上げる。その有無を言わさない真っ直ぐな瞳に、お
ばあちゃんは急いで頭を下げて小さく頷くと、矢田を連れて奥まで消えてしまった。展開の速さについて行け
なかった矢田は、訳も分からないような様子で引きずられていく。
 奥に消えていく2人を見て、緊張が解けたように肩を落とすはづき。その顔は安堵感を物語るように穏やか。
「これで一安心ね…。」
「はづきちゃん!!?まあ!何て格好なのぉ?」
 はづきが1人になってからすぐに、蜂蜜のように甘ったるい声が響く。声がした方向に、恐る恐る振り向く
はづき。その顔はすでに泣きそうな程、悲壮感で溢れてる。
 はづきの前に現れた人物は、羊のようなモコモコした髪をポニーでまとめている、下がり気味な目が優しそ
うな女性。寝巻きのようにゆったりとした淡い服を着込み、おっとりとしながら優雅で気品ある雰囲気を漂わ
せなる姿は言うまでも無く一つの完成された絵のよう。彼女は両手を顔にあてがいながら、ウルウルと涙を滲
ませてはづきに近づく。一連の動作はとても素早く、全く無駄が見られ無い。
「そんな姿だと風邪引いちゃうわ。そうだ、今丁度お風呂が沸いているから入りなさい。」
 一方的にまくし立てると、彼女ははづきの背中をグイグイ押す。見た目以上に力が入っているようで、はづ
きはズリズリと奥に追いやられていく。
 微かに漂う湯気の香りにはづきは、一種のパニック状態に陥った模様。
「ママ聞いて、お風呂が沸いているのはばあやがね…」
「そうよ!はづきちゃんがこんなになってしまっているのに、ばあやは何をしているのよ。」
 はづきの言葉を押し潰す勢いで、はづきママは握り拳を握る。下がり気味の目から放たれる、有無を言わせ
ない強烈な雰囲気は、はづきの戦意を喪失させるには十分と言うもの。
 焼け石に水。大河の一滴。蜻蛉のように弱々しいはづきの主張ははづきママに届くことも無く、はづきは腕
を掴まれたぬいぐるみのように引きずられ、湯気の立ちこもる奥の部屋へと消えていった。

 霧のように立ちこもる湯気。
 体を芯まで温めていく、乳白色の湯。
 プラスティックの桶に入れられた、良い香りの漂うシャンプーもろもろ。
 足を伸ばしきっても届かない、小さなプール程の大きさはある大きな浴槽。
 矢田は湯に肩までつかり、ジッと動かないでいた。全身から幸福感が染み出していて、本人もまんざらでは
無い様子。あれだけ寒い思いをしたのだから、当たり前と言えば当たり前だけど。
「では、わたくしめはこれにて。」
「…どうも。」
 洗い場で待機していたばあやが、矢田の様子を確認した後で奥に下がる。気配無くスッと消えていったばあ
やに、生返事した矢田は少々引っかかるモノがあったけれど、あんまり深く考える必要が無いと言った感じで
、追求する事は無かった。ゆっくり流れる時間に、矢田は眠るように目を閉じる。
 程なくして、矢田はこの至福の時間に奇妙なズレを感じ始めた。水面は妙に波立つし、心なしか見られてい
るような感じも受ける。そう言えばさっき、ドアを開け閉めする音が聞こえたような感じも…。
「誰か居るのか?………いるわけないか。」
「…まさる君、私よ。」
 湯気の中から申し訳なさそうに聞こえてきた声に、矢田は一瞬目が丸くなり思考が真っ白な状況に陥る。朦
朧としてきた気持ちを抑えつつ、矢田は声のした方に振り向く。まるで、さっきのあの声が悪い冗談である事
を期待しているかのように。
 流れるような肢体はできたてのお餅のように柔らかそうで、花の茎のようにか細い。何も付けられていない
髪は肘辺りで先端がまとまっていて、絹糸のように繊細で滑らか。眼鏡をかけていない彼女の素顔は、思って
いた以上に幼稚園の時と変わりが無いように思えた。
「こ、こっちを向かないで!!」
 言われる前から後ろを向いていた矢田は、さっきまで映っていた光景が瞼に焼き付いて離れない様子で、顔
が茹で蛸のように真っ赤な状態。呂律すら回らない姿が、思考も混乱しているのを物語ってる。
「な…なんでお前がここに!!?」
 すっかり声のトーンが高くなってしまった矢田は、そう言うくらいで精一杯な様子。妙に語尾がかすれてし
まって、この上なくかわいらしい。
 そんな彼の背中にもたれ掛かってくる感触。温かくもちもちした感覚は、すべすべした手とは全くの別物で
、ずっと重たいモノが感じられる。彼は首筋に冷水でもかけられたかのように身を縮めた。
「ママが風邪ひいちゃうから、お風呂に入った方が良いって言ってきてね…。」
「オレ達幼稚園児とかと違って、もうガキじゃねぇんだぞ?」
「…多分、まさる君がお風呂にいるって事…知らなかったと思う…。」
 立ちこめる湯煙の中、矢田とはづきの2人は重い沈黙に包まれていく。もたれ合った2人は、振り向く事す
らゆるされない状況にとまどっている様子。
 矢田が1人でいた時と同じように静寂が流れてはいるけれど、彼の心境は180度変わっている。さすがに、
先程までの慌てぶりは見られないが、すねたようにうつむいたまま。
 はづきの方も、何をどうしていいやらと言った感じで、困った顔をしてうつむいている。下がりに下がった
眉が、何とも申し訳なさそう。
「…まさる君。どうして、半年くらい前からずっと…手紙一つも連絡をくれなくなったの?」
 長い沈黙の後で、はづきはいつも以上にゆっくりと話しかける。まるでイタズラがばれてしまい、謝ってい
る時のように、その声は小さく弱い。矢田は少しため息を漏らした後で、口を開く。
「お前に迷惑になると思ったから…。海外に演奏しに行くような凄ぇ奴に、オレなんか釣り合わねぇって…。」
「何でそんな悲しい事を言うの!?」
 思い余ったはづきが矢田の方を振り向く。程なくして冷静さを取り戻した彼女は、顔を赤くさせながらそそ
くさと後ろに向き直ったけど。
 はづきの一連の行動が終わったと同時に、矢田は含み笑いをひとつ。まるで、名探偵が引っかかっていたと
っかかりを見破った時のように不適に。
「でも違った。お前もオレもこの一年で色々変わったけど、中身は何も変わってなかったから。」
「え?まさる君?」
 うさぎのようにきょとんとしているはづきをよそに、矢田はとっても満足そうにお湯を顔にかける。それか
ら、嬉しそうに天井を向く。たっぷりと、時間をかけながら。
「それは…。」
 矢田が感情たっぷりに口を開けたと同時に、脱衣所の方からスペインの牛追い祭りに匹敵しそうな、並々な
らぬ気配が迫ってきた。そして間髪入れないままに、脱衣所の扉が全開に開かれる。まるで仁王のような殺気
に、勢いだけで湯船から波しぶきが溢れるくらい凄い。
「はぁぁづきおじょぉぉぉーさまーー!!!」
「はづきちゃん、ごめんなさいね。私、お友達が入っているなんて知らなくって…。」

 雪も上がって空は夕暮れ。
 雪解けの始まった道路はいつものような賑わいぶり。
 分厚い雲に奪われていた空を飛ぶ、スズメ達の自由気ままなお喋り。
 隅の影の方には、今でも雪の残りががちらほらと残ってる。
 程なくして、一日の終わりを告げるカレン女学院の鐘が大きく雄大に鳴り響いていく。
 小一時間前と同じように、大きな門を背に立つ矢田とはづき。間近に寄り添う光景は、まるで磁石のN極と
S極が互いに結び合うかの如く、法則化されて固定されたようにすら思えてくる。
「いきなりママ達が入ってきた時はビックリしたよね、まさる君。」
「…あぁ、マジで生きた心地しなかった。」
 がっくり肩を下げながら、矢田は深いため息を漏らす。そんな矢田を前に、はづきは少し困ったような様子
で微笑みかけた。何だか、ママの代わりに謝っているみたい。
 包み込まれるような抱擁感を感じる彼女の笑顔が、記憶の奥深くに隠していた”何か”と重なり、照れる顔
を悟られないように下を向く矢田。地面を見つめる目は鋭い。
 そんな矢田の様子を、はづきは微笑みかけながらも、不思議そうに見つめてる。
「あ、そうそう。渡しそびれたバレンタインのチョコ。はい。」
 はっと思い出したようにはづきは、上着のポケットをごそごそさせる。それから彼女は小さな箱を一つ取り
出すと、いとも簡単に矢田に手渡した。その間ものの10秒程。
 その箱は小さいながらも綺麗にラッピングされていて、細かい所まで心配りがされている繊細な作り。特に、
結ばれているリボンは明らかに手製の筈なのに、デパートでプロに頼んだ時のような丁寧さ。
 矢田は、ギュッとその箱を掴む。その表情は硬く、真剣そのもの。
「私ね、去年”Friends”って曲を作ったでしょ?でね、あの曲にトランペットを入れてなかったのは、私に
とってまさる君が…。」
「なぁ藤原。」
 モゴモゴ話すはづきに割って入る矢田。何だか彼女の話も聞いてなかった様子。
 突然の予期せぬ乱入に、思わず涙目になるはづき。真剣そのものの矢田に後退気味。
 矢田は、腕ではづきの肩を掴むと、杭を打ち付けるように彼女をその場に固定させる。力がかなり入ってい
るようで、はづきが小さな悲鳴を漏らす。
「オレ…お前が迷惑じゃないなら…ずっとはっきりと言えなかったけど…言うよ。」
 今までのつき合いの中でですら見たことも無いような、真剣な表情の矢田にはづきは、腕の痛みすら感じな
くなってしまうくらいの衝撃に惚けてしまう。目の前の現実を整理しようとするけれど、一度豆腐のように真
っ白になってしまった頭では、なかなか思うようにはいかないみたい。
「オレはお前の事が好きだ。」
 間髪入れずに矢田は、はづきをグッとすれすれまで近づける。そしてそのまま、恐々とながらも互いの唇を
重ね合わせた。それから瞬きしない間に唇を離すと、その後矢田は自分の体をはづきから離し、ゴム鞠を力一
杯跳ね飛ばしたように走り去り、人混みの中に消えて言ってしまう。
 1人取り残されたはづきは、さっきの一瞬の出来事を思い出すように唇に指先を当てていた。一瞬の間に2
回も頭を真っ白にされた為か、大きなリアクションも出せない様子。
「私が”Friends”にトランペットを入れなかったのは…まさる君、あなたが私にとって、”友達”とは違った
意味で、大切な人だったからだったのよ…。」
 はづきは矢田の走り去っていった方角を虚ろげに見ながら、もう片っ方のポケットにしまわれていた手紙を
手に持つ。矢田に手渡した箱と同じくらい、繊細に作り込まれたモノを。
 こぼれ落ちるように地面に吸い込まれる夕日の中、ひっそりと顔を覗かせ始めた一番星。その弱い光は日中
なら気が付く事は無いけれど、日が沈めば見えてくる。そしてその光は、どんなに弱い光だったとしても、一
度見つけてしまえば、次見つけるのは容易な作業になるだろう。
 そしてそれはもしかすると、今日の2人にも当てはまることなのかも知れない。

公開日:2004年02月23日