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3.Bパート

「燃やせっ♪ その瞳っにっとぉーもしたっ、炎にぃーっ、命をかっけってぇー♪」

 その日の放課後……まさるはいつもの河原にいた。だが……いつものように独りではない。

 別にとあるお節介な幼なじみがいるわけでもない。そう。今、彼女がここにいるはずはない……

「……事情は聞いた。要するに、相手してやればいいんだろ?」

「うん…でも、本当に来てくれるなんて思わなかった」

「……………………?」

 手紙の差出人の欄に書いてあった少女――むつみの言葉に、眉を吊り上げるまさる。

 が…特に気にせずに、もっと気にするべきことを気にしてみた。

「誰かがっ♪ お前ーをー呼んでいるっ、勝利ぃーをーつかむまでぇーーっ♪」

「で……このリングはどっから持ってきたんだ?」

 その過程、手間、労力、購入方法…全てに疑問符がつく、その特設リングの鎮座した、その河原で。

「巻機山さんが準備してくれたの。凄いよわね、彼女」

「疑えよ。少しは」

 呆れてツッコむまさる。

「大体……何でお前らがいるんだよ、巻機山。ついでに長谷部」

「ハナちゃん、レフェリーやるのー!」

「……解説者らしいぞ。こいつが言うには」

 毎度毎度のハイテンションで叫ぶハナにひっ捕まったらしい長谷部が、やはりどうにかして用意したらしい長机の、「解説者」と書かれたプラカードを指差し、ため息をついて答えた。

「ついでに巻機山。さっきから歌ってるその唄は何だ?」

「ももに教えてもらった唄なんだー。ボロボロの刀で木を斬る時に歌う唄なんだって」

「…………なぁ長谷部……あいつはもう、あーいうキャラで最後の1年を突っ走るつもりなのか?」

「…………止めたぞ。俺は」

 もう何も言えなくなって、矢田と長谷部が同時にうなだれた。

 が、まさるは意外にも早く立ち直り、呼びかける。リングの上の彼女に。

「まぁ、いいか……じゃ、とっとと始めようぜ」

「うん。それじゃ、よろしくお願いします!」

 そのむつみの言葉に、やはり眉を上げて、いぶかしむまさる……しかしそれでも、構えは取った。

 そう、取らなければならない。彼には――確かめねばならないことがある。

 むつみもそれに続き、間合いを開ける。

「先に言っとくけど……」

 と。まさるが口を開く……そんな彼の様子に、長谷部はこっそりと首を傾げていた。彼の知る限り、まさるはそこまでお喋りな人間ではなかったはずだ。ならば……何か理由があるのか。あるいは……戸惑っているのか?

「別に俺はプロレスができるわけじゃない。知ってるのはケンカか…でなきゃ剣道くらいだぜ」

「負けたけどな」

「うるせぇ長谷部。お前もだろ」

 それでもツッコんでしまったのは、昨日のももこのせいだ。長谷部はそう責任転嫁した。

「――それではーっ!!」

 そしてどこで調達したかは知らないが、赤のタキシード姿のハナが、「司会者」席から叫ぶ。ゴング代わりに。やっぱりももこに教えてもらった合言葉を。

 ……その本当の意味を、知ることなく。

「ガン○ムファイトー、れでぃー・ごー♪」

「伏せ字っ!?」

「ガンダムってなんだ……?」

 いや、お前が伏せ字にしなきゃ意味ねぇし。

 そう、続けてまさるにツッコもうとした長谷部は……その言葉を飲み込んだ。いや、正確には……忘れてしまっていた。

 むつみの肘が……まさるの顎先をかすめていったからだ。

「くっ……!?」

 一瞬の差で、まさるは後ろに下がっていた。ハナの意味不明な言葉を、本気で気にかけていたら危なかっただろう。

「悪いけど」

 スローモーションになって流れる時の中で、むつみがつぶやく。

「……手加減、する気ないから」

 それだけを、はっきりと伝えて。

 むつみは拳を握り締めた。己の魂を、全て伝えるために。

 そして彼なら……それに応えてくれると信じていた。

(この戦いで……今までの私を、全て出し切る!)

「……いきなりかっ!?」

 長谷部が――気づいた。彼女の真意に。

 そのままむつみは、右拳をまさるの腹部に潜り込ませ――

「スーパーゴールデンむつみ――」

「おおっ!!」

 ハナが、その目を輝かせる。どこまでも純粋に。

「特別スペシャル!!」

 轟音――

 少なくとも、長谷部にはそう聞こえた。

 風を切る拳が骨をきしませた、その不快な音が。

 場の空気を一瞬で変えた、気迫にあてられて。

 やがて……紡がれた言葉は、やはり遅滞した時間で交わされた。一気に圧縮された空間が、反動を起こしたかのように。

「……………………お前が拳なら」

 まさるは、立っていた。

「俺は脚だ」

 左足だけで。

 必殺の拳を、両手のひらですんでのところで食い止めて――

「受け止めた!?」

「違う」

 長谷部がハナの指摘を否定した。

「あいつの足が打ち消したんだ――拳の威力を」

 浮かせたままの、まさるの右足。

 その膝が……切り裂くむつみの拳を、下から蹴り上げていたのだ。微妙な角度をつけて。力を入れる寸前の――絶妙なタイミングで。

 結果…本来振るわれるはずだった勢いがすっぽ抜け、半減された。

 とはいえ、一つ角度を間違えれば、自爆するだけ――

(俺にしろ……あいつにしろ……)

 長谷部がつばを飲み込む。無理やりに口の片方を吊り上げて…言った。胸中で。

(トンでもねぇ相手にケンカを売ってたのかもな)

「……そうこなくっちゃ!」

 むつみのその叫びがスイッチとなり……再び、時が動き出す。ただしそれは、本来の時の流れを逸脱した奔流――

 二人が歪ませた、時の渦だった。

 その渦の中で、清流と濁流が交錯し合う。

「むつみ・脇固め!」

 むつみがまさるの右手を取り、ねじろうとする――

 が。まさるは無言で足を蹴り、彼女の立っている方向に倒れこんだ。

 押しつぶされる格好で、リングに転倒したむつみ……だが、それは相手も同じ。むつみの判断も、再挙動も早かった。おそらく……読んでいたのだ。まさるの次手を。

「むつみ・クローバーホールド!」

 即座にまさるの両足をつかみ、腰の上に座り込んで、彼の身体を折り曲げる。無論、四つ葉状に曲げられた足の関節も圧迫する。

 だが……ロックが甘かった。言うだけのことはあったのか、まさるは蹴り足だけで彼女の手を振り払う。両手をつき、彼女の下をすり抜けて脱出した。

「だから……いちいち技の名前叫ぶなよ」

 悠長に、つぶやきながら……やはりまさるは立っている。

「……まだまだ!」

 再び、むつみが攻撃に移る――

「わぁぁぁ……すごい、すごい、すごぉいっ!!」

 完全に興奮しきった、級友のあまりにも無邪気な――だからこそ危険な、無邪気過ぎるその声は…

 もはや長谷部には、聞こえていない。

 彼の全ての意識は……目の前の、ケンカ相手と幼なじみが繰り広げる戦いに、注がれていた。

 が……彼は不意に、一つの台詞を思いつく。

(飛鳥なら……こう言ったのかもな)



『さぁ……どうする、矢田まさる!! 工藤むつみの全てを投げうつ熱き思い、お前はどう受け止める!?』



 ……正直、その元ネタ≠知ったきっかけなどくだらないことだし、別にそれほど好きだというわけでもなかった。

 初めて見たその話で……全てを投げ打ったその親友は、それでも、その主人公と、決着をつけようとしていた。

 しかし当時、今よりさらに幼かった彼に、その意味は……わかるはずもなかった。

 だが。

 今、この時。長谷部は――

 その顔面国旗忍者≠ェ叫んだ言葉の意味≠ェ、痛いほどわかり始めていた。

(さぁ……どうする、バカ矢田?)

(……そいつの思いに応えてやれるのは、今はもう、お前しかいないんだぜ……?)



 決着の時は、いつだって唐突だ。



「むつみちゃん!!」

 ハナが叫ぶ――一瞬で、その表情が青いものへと変わっていた。当然のことだ。……彼女もまた、あの「お節介な連中」なのだから。



「矢田っ…………!?」

 長谷部が叫ぶ――その真意は、わからない。ただわかるのは、その表情に浮かんだ、二つの葛藤だけ。



「うっ…………」

 むつみがうめく――リングロープにもたれながら。その表情の意味するものは、誰に見ても明らかだ。



「……………………」

 まさるは――無言のまま。無表情のまま。だが……その意味するものは、いつものとは全く違う。



「お、おい――」

「お前だって気づいてただろ。長谷部」

 たまりかねて声をかけた長谷部に、まさるは、ただ端的に、事実だけを伝えていた。

「……工藤。お前――」

 たった今、左のミドルキックを囮にして、彼女の下腹部にくらわせた拳の構えを、崩すことなく。

「弱くなってる。確実に」

 だが、その言葉に――意味はない。

 今突き出した拳こそ、彼の応え≠セった。

「……え?」

「知ってるだろ、巻機山。あいつに、ここのところずっと、プロレスの相手がいなかったってこと」

 その苦い表情のまま……長谷部が口を開いた。

「だから――」

「……ガードがおろそかになってた。そういうことでしょ…?」

 しかし、言葉を継いだのは、むつみ本人だった。

「全部で5回」

 それに、長谷部が答える。

「俺が見た限りでは……5回、隙ができていた。今のと同じくらいの一撃をくらっても、無理のない……致命的な隙が」

(そして……それをあいつに気づかせるために…あのバカは)

 その続きこそ、胸中に留めていたが。

 それを知ってか知らずか、むつみも話し出す。

「練習相手がいないってことは……つまり、『技をかける』相手がいないってだけじゃなくて、『技をかけてくれる』相手もいなかった、ってこと――
 けど……矢田くんは、長谷部くんと毎日ケンカしてたから…技のかけ方も、受け方も、ずっと練習できていた」

 彼女にも、伝わっていたのだ。その応え≠ヘ。

「だから、ちょっと…うらやましかったのよ? 長谷部くん……」

「――矢田くん!!」

 ハナが叫んだ。その大きな瞳に浮かぶは、抗議の眼差し。

「どうして……そこまでするの!?」

「お前が望んだことだろ」

 まさるの即答の前に……ハナが絶句する。

「それに……な。俺だって、あそこまでやられなきゃ…本気なんか、出したりしねぇよ」

「え……」

 そっけなく、あくまでもそっけなく、まさるはハナに答えた。

「……脚をやられた」

 言われて、ハナは初めて気づいた。まさるの足への体重のかけ方が、明らかにおかしくなっていることに。

 むつみの状態に気をとられて、全く気がついていなかった――

「というより……あいつが左を誘ってたんだ。最初から、あいつの狙いは俺の左足に――軸足にあった、ってことだ。
 結局俺はその流れに乗せられて……左足首を捕られた。脱出するには……ああするしかなかった。もう遅かったけどな」

 あの、戦いの流れを変えた一瞬。

 むつみは全神経をまさるの左足の動きをとらえることに集中し……それを、両腕で受け止めた。

(多分、あれは意識してやったんだ)

 再び、長谷部は思い返す。

(あいつも……矢田との戦いの中で、自分の致命的な弱点に気づいたんだ…)

(それで……賭けに出た。ガードを捨てて、自分の受けるであろう攻撃と引き換えに――軸足を奪おうとした。そうなんだろ?)

 長谷部が、幼なじみの顔を見上げる。と、彼女もまた、うなずいた。

「小竹くんや木村くんの弱点だったから……」

 そして――

「やっぱり、いちいち(・・・・)自分の得意技を明かしちゃダメよね……お互いに」

「……そだな」

 不敵に笑ってきてさえいたむつみに、まさるは苦笑した。

 だが……苦笑いでこそあったが、彼は確かに――笑った。

 その笑みに――

「じゃあ……もうやめようよ!!」

 ハナが震えていた。

「もういいじゃん!? ハナちゃん、そんなつもりじゃなかったのに……」

「……無理だ」

 長谷部が断言した。

「飛鳥も言ってた。『拳を交えなければ心を通わせることができない』のが、武闘家だって――お前だって、聞いてたんだろ?」

「…………え」

 呆気に取られたハナが、うめく。

 その隙を縫って、二人が再び、構え出した。

「水入りみたいだけど……終わりにする?」

「とてもそんなこと思ってるような表情には見えないぜ?」

「矢田くんだって」

 むつみの指摘を……まさるは、彼にしては珍しいくらい、素直に受け入れていた。

 彼女の思い≠ノ、あてつけられたのかもしれない。

「……いいだろ。たまにはな。こうなりゃ最後の最後まで、付き合ってやるよ――っ!!」

 まさるが、右足を大きく蹴り出し。

「……ありがと!!」

 むつみも、リングロープの反動で大きく身体を前に動かした。

「やめてーー!!」

 そんな二人に、ハナの叫びは……聞こえなかった。



「――そこまでだ!!」



 なぜなら……

 その絶叫をも上回る声量をもってそれを遮り、二人にすら割って入った声が、響き渡ったからだ。

 よく通る、その張りのある声が。

 その姿に、長谷部は見覚えがあった。

「…………あなたは」

 動きを止めたむつみが、呆然としながら、その影を見上げる。

 音もなく現れ、コーナーポストの頂点で腕を組みながら立っている、その男を。

「東ざ」

「シュバルツ・ブルーダーだ」

 長谷部が0.1秒で修正した。

「シュバルツ・ブルーダー」は、背負っていた刀がないことを除けば、初登場時と全く変わらない格好で、言ってくる。

「いいファイトだったことは認める……だが、もはやこの戦いに、何ら意味はない――両者とも、拳を収めてもらおうか」

 ふわり、と飛び降りて……両者の間合いの隙間にぴたりと静止した。

「それより、はっきりさせねばならぬことがある。そうだろう――巻機山花!!」

「――!!」

 突然の名指しに、ハナが身体を大きく震わせる。その右手人差し指と、声に、全身を貫かれて。

「既に、何もかもが露呈した。もう一度言う……この戦いに意味はない。なぜならこの戦いは、全てそこの巻機山花によって仕組まれたものだからだ!!」

 その男の言葉に表情を変えたのは、むつみとハナ本人だけだった。

 その結果を予想していたのか、男は呼びかける。

「やはり、君たちも気づいていたか。この手紙の裏に隠された真実に――」

「そんな大層なもんじゃねぇよ」

 男がコートの内ポケットから取り出したその手紙――確かにそれは、自分が朝下駄箱で見つけて読んで、すぐその場のゴミ箱に捨てたものだった――を見ても、まさるは大して動揺することなく、答える。

「そんなクセのある字書けんのは、巻機山じゃなきゃ春風ぐらいだ。読む前にわかったよ……それに」

 ため息をついて、まさるは続けた。

「ここに来る途中で、あの店から帰ろうとしてる藤原に会ったばっかりだったからな」

「はづき……ちゃん?」

 不意に現れた、聞き覚えのある固有名詞に、むつみが首を傾げる。

「え……?」

 ハナもむつみとは違う意味で不意を突かれたらしく…呆けてつぶやく。

「己が眼で確かめてみるがいい」

 男に投げ渡されたその手紙の差出人の名に…むつみが首を傾げた。

「……私?」

「巻機山花が、お前の名を騙ったのだ。そしてその手紙の文面通りに……矢田まさるはやってきた。そしてお前には、その時間に矢田まさるが現れるとお前に伝えた……それが、真実だ」

 男の話を聞きながら手紙を開き……むつみの表情が、一気に暗くなる。

「はづきちゃんが……人質に?」

「もちろん、そんな事実はない。彼女は今日、日本舞踊の稽古のためMAHO堂を早退し、自宅で息災にしている」

 男が解説を加える。

「それじゃあ矢田くんは、この手紙を見て――」

「全てを知っていて……お前を相手にしたということだ。敢えて、巻機山花の手のひらの上で踊っているフリをしてな」

「そもそも……巻機山が矢田の説得に成功した、なんて話を持ってきた時点で、眉唾だったけどな」

 男に続き、やはり気づいていた長谷部が言う。

「だったら何かしでかした、って考えるのが自然だろ。例えば……藤原あたりに。なぁ、バカ矢田」

「……別にぃ」

 そっぽを向きながら答えた矢田が、その表情を悟られまいとしていることを今日だけは見逃してやりつつ、長谷部はこっそりと嘆息していた。

(やっと、いつもの調子に戻ったか)

 そして、がっくりとうなだれているむつみを見つめる。

 それはハナも同様だった。

「さぁ……何か言うべきことがあるだろう。巻機山花」

 世界で一番大好きな母がくれたその名を呼ばれた彼女の、すっかり輝きの失せた瞳に映るのは……むつみでも、その男でもなく。

 うつむいた下に見える、マイク等が散乱した、彼女の前に置かれた机の上であり。

「ハナちゃん……」

 世界で一番大好きな……母の姿だった。

 涙ですっかりくもった両眼の奥には、それでもしっかりと、その姿が刻まれている。

「ハナちゃん、むつみちゃんの願いを叶えてあげたかっただけだもん!!」

「――拳の心を知らぬお前に、何がわかる!!」

 男の叱責の前に……ハナが再び、身をびくつかせた。

「貴様はやはりあの頃から変わってはいない。変わっちゃいないんだ……あの頃と」

 どこかで聞いた台詞を……男は言う。あくまでも、真剣な瞳で。

「それに……本当の理由は、そうではないだろう?」

 そしてその瞳が…不意に、優しげな光を帯びた。

「貴様は……ただ憧れていただけだ。貴様の母親≠ノな――」

「……母親?」

「……………………」

「それってひょっとして……春風のことか?」

「正確には、春風どれみを中心とした、あの《MAHO堂》の子どもたちだ」

 いぶかるむつみ、まさる、長谷部に、男は答える。

「そう、巻機山花は憧れていた……人の感情の機微に敏感で、それをできる限り傷つけまいとし……できれば救ってあげたいとすら考える、春風どれみらの、あの姿を。己を省みることすらなく、無償の愛≠振りまこうとする彼女たちの心に強く惹かれたのは、君たちとて同じだろう……それが、巻機山花の場合は、母≠ヨの憧憬の念という仮の形として現れた。そういうことだ」

「ウソなんかじゃないもん!! どれみは――どれみたちは、ハナちゃんの……」

「ならば何故、貴様は友の名を騙るなどという行動を取った! 貴様の憧れる"母親"が、そんな馬鹿げた手段をとるとでも思ったのか!?」

「思わないもん!!」

 そのハナの返答に……男は少々動揺したらしかった。そのままハナは、感情をむき出しにする。

「けど……けど! ハナちゃんには、こうすることしか思いつかなかった……ホントにはづきを捕まえるなんてことできるわけないし、したくなんかないよ……。だけど――」

 それしか方法がないのなら、はづきを捕まえたことにして、まさるをおびき出せばいい。そうすれば、はづきに危害は及ばない。それなら誰も傷つかない――

 が、その言葉は……出てこなかった。決して言えない。これ以上言えば、ますます母≠ゥら遠ざかるだけだ。

 それは……単なる言い訳だから。

 それくらい、彼女だってわかる。

「……ありがとう」

 その意図を察して……むつみが声をかけた。

「私がワガママを言ったから……巻機山さんを追い詰めちゃったのよね……」

「いや」

 即座に否定し、男は言う。

「工藤むつみ、それは違う。巻機山花の最大の失態は……全てを、自分ひとりで解決しようとしたことだ。
 たった一人で、人間と人間の複雑な関係に立ち入り……まして救おうなどとは笑止の一言。そんなことをやっているようでは、決して母≠ネどには近づけん」

「……………………」

 ハナは……何も言えない。ただうつむくのみ……

「いいか、巻機山花。足もとだけに気を取られるな」

 男は続ける。

「お前は独りじゃない。母を――友を信じて、もっと遠くを見てみろ。そうすれば……おのずと、世界は開けていく。お前が望んだ世界がな……」

「ひとりじゃ、ない……」

 反芻するハナに、男は穏やかな眼差しで……言った。

「誰とて最初は過ちを犯すもの……例外など存在しない」



 その時……声≠ェ聞こえた。



『誰だって最初は上手くいかないよ?』



 大好きな……母の言葉が。



「だからこそ……お前には母≠ェ、友≠ェ必要なのだ。互いを支え合い、過ちを正し合い、己が存在を高め合うために……共に生きていくために」

 涙でもみくちゃにされた顔を、ハナがぶんぶん振っている。

「うん……うん」

「人を信じる心があれば……恐れるものは何もない。お前はもう、独りじゃない」

「うん!」

 笑って、ハナがうなずく。最後に、大きく。

 そして……むつみも笑った。心から。

 まさるも、長谷部も笑った。不器用に。

 と――男が声をかけた。

「……騒がせてすまなかったな、君たち」

「何を今さら……」

 こっそり長谷部がツッコむ。が、もう呆れる気も起きなかった。

大したもんだよ(・・・・・・・)お前も(・・・)

「だが、いいファイトを見させてもらった。礼を言わせてもらおう。巻機山花、今度ばかりは、彼らの拳の語らいに救われたようだな……」

「……え?」

「では、さらばだ」

 ハナのつぶやきに答えぬまま、男はリングから飛び上がり――



「――ガンダァァァム!!!!」



 高らかに叫び、指をパチンと鳴らした。刹那。

 側の川から。

 十五、六メートルはあろう巨大な人影が、せり上がってきた。

 旧ドイツの軍服を思わせる、その紫紺の機体。そして額のVの字。



 その巨人をこう呼ぶ。《ガンダムシュピーゲル》と。



「ふはははは!! ははははは……」

 笑い声と共に、その巨躯の中に姿を消して……

 男はいずこの空へと飛び去っていった。



『……………………』

 四人全員に、「…………この一気に白けた空気、どうしろと?」という感慨を抱かせながら。

 むつみはおろか、ハナですら、大口を開けて絶句していた。

 とりあえず……口火を切ったのは長谷部だった。今回俺はこんな役ばっかりだよな、と思いつつ。

「で……結局、何がしたかったんだ? あいつ(・・・)は……」

「知るかよ……くだらねぇ。俺は帰るぞ」

 言って、彼はリングから降りていった。引きずる足を気にもせずに、さっさと歩いていく……

 と。慌ててハナが叫んだ。

「矢田くん!! 今日は本当に……ごめんなさい」

「……別に」

 それだけ答えて、彼は上の歩道へと駆け登っていった。

「――待って、矢田くん!!」

 続いて呼び止めたのは、むつみだった。リングロープに両手をかけ、飛び出していきかねない勢いで。

「…………」

 まさるは、振り返らない。立ち止まりもしない。それでも、むつみは尋ねた。

「どうして……はづきちゃんのことを知っていたのに、私の相手をしてくれたの?」

「さぁな……」

 側にかかっていた橋の上を、歩いていく。彼は、決して止まらない。

 だが……

「ただ俺は……これ以上、俺の周り≠ェうるさくなるのが嫌だっただけだ。じゃあな」

 それだけ答えて……まさるは去っていった。河原から。

 むつみは……胸に手を当てて、その言葉の意味をかみしめている。

 と。

「……これ以上、誰も巻き込みたくなかった、だってよ」

 今回の自分の役割を受け入れた長谷部が、解説をしてやった。

 もっとも…彼女にとっての彼の役割が、まさにそれであったのだが。

「あいつも、春風たちと同じだってことだろ」

 その言葉に――

 むつみは全速力で駆け出して、橋の前に立つ。その先にいる、まさるに向かって。

「ありがとうーー!!!!」

 めいいっぱいの笑顔で、むつみが叫んだ。

 ずっと遠くに見える、まさるの右手が……

 軽く上がったように、彼女には見えた。

 長谷部も、軽く微笑して。

「……帰るか」

「うん」

 と、帰路につこうとした二人を、ハナはやはり慌てながら、言う。

「むつみちゃん……長谷部くん……」

「気にすんなよ」

 が、それを制したのは長谷部だった。

「誰も気にしちゃいねぇからよ…お前が良かれと思ってやったんだってことは、みんなわかってんだからさ」

「でも……」

「ね、巻機山さん――」

 次に口を開いたのは、むつみだった。

「私、絶対にプロレスラーになるから……」

 橋の上から、笑って。

「巻機山さんも、絶対に、どれみちゃんたちみたいになってね。……今日は、どうもありがとう!」

「――むつみちゃん!!」

 手を振って去って行くむつみと……その後を、ゆっくりとついていく長谷部を見上げながら……

「どうして…………?」

 河原に一人残ったハナは……ただ、その場に立ち尽くすだけだった。

 ……いや。

『もう忘れたのか? お前は独りじゃないと……』

「え……?」

 突然聞こえたその声は……あの男の声。自分に大切なものを取り戻させてくれた、あの人の声。

『武闘家とは所詮、拳と拳でしかわかり合えない不器用な生き物…お前にはわからないだろうがな』

 声だけが聞こえるその河原で、ハナは辺りを見回すが……誰もいない。

『彼らは……互いの拳を交わすことで、全てをわかり合うことができたのだ。そのきっかけを作ったのが、お前だ。巻機山花』

「けど、ハナちゃんは……」

『お前は自分の過ちを改めた。だからもう、どうでもいい……。
 そして、彼らにとってもな。大事なのは、互いが死力を尽くし、魂の拳を繰り出し合ったこと――
 武闘家にとって、拳とはただ相手を倒すためにあるものではない。繰り出す拳の一つ一つを研ぎ澄ませれば……それは己の魂を伝える道具となる。
 私の身内が世話になった、偉大なる格闘家の言葉だ。己の歩んだ道を、拳で表現する……そういうことだ』

「……ハナちゃんには、難しくてわかんないよ……」

『ならば……こう言えばわかるだろう。己の歩んだ道を、《魔法》で表現する、と――』

 ハナが大きく目を見開いた。

『これからも……お前の母たちの姿をよく見ておけ、ハナ。
 心の無い拳も、魔法も同じ。ただ破壊を産むのみ……だが、その力も使い方しだいで素晴らしいものになる。その拳によって、互いをわかり合った矢田まさると長谷部たけし、工藤むつみのように。そして、魔法という力を借りて、何度となく人々を、そしてお前たち魔女を救っていく、春風どれみたちのように……
 そう、絶大なるパワーは二つの顔を持つ、いわば諸刃の剣――
 さぁ……お前はどちらを選ぶ?』

「あなたは……一体誰!?」

『私か? フッ……私はネオドイツのガンダムファイター。ただそれだけだ……』

「ちょ……ちょっと待っ……」

 風の中……声が消えていく。

 ハナは……しばらくその場で、動かない。

 そして。

 最後につぶやいた。

「何で……ハナちゃんが《魔女》ってバレたのに、マジョガエルにならなかったの?」



「そら、ももちゃんが魔女見習いやからやろ?」

 腕を組んで、あいこがうなずく。……メダカの姿で。

「…ももちゃんも、なかなかどうして面白い魔法の使い方をするわよね」

 微笑しながら、おんぷも言った。……金魚の姿で。

 MAHO堂にいつまで経ってもやって来ないハナを心配し、探しに出たら……こんなところで、こんな風になっていた。

 その身を川に隠し、一部始終を見ていた二人は、あわやというところで飛び出そうとして……

 あの「男」に、遮られたということだ。

「伊達に日本のアニメがおもろいおもろいって言うてるわけやないんやな。ちゃんとその作品が伝えようとしてんことをわかった上で、見てんねんっちゅうことやからな」

「そうじゃなきゃ、あんな格好のままであんな的を得たこと、言えるわけないもの。それに直接私たちが出て行ったら、ハナちゃんすっかり動揺しちゃって話を聞いてくれるかわからないもの。だからこそ、道化を演じたってこと」

 おんぷの解説に、あいこは笑って肩(?)をすくめた。

「ホンマに世話が焼けるなぁ……ま、ちっとも嫌やないけどな」

「私も――って言いたいところだけど、これから仕事があるから」

「待たんかいっ。しかも久々に聞いたで、その台詞」

「ふふ、冗談よ。でも、お仕事のことは本当よ。それじゃ」

「はいはい…お疲れさん。また明日なー」

 親友の素っ気なく、だが確実に暖かい言葉を背に、おんぷは魔法を解いて、河岸へと戻っていった。ハナに気づかれないように、こっそりと抜け出す。

(ももちゃんも……確実に、ママ≠ノなろうとしてるのよね。私たちみたいに)

 彼女らしいやり方で。彼女にしか、できないやり方で。

(それはそうと……あの演技力は、ちょっと驚いちゃったかな。私も頑張らないと――)

 と。突然、携帯電話の着信音が響いた。着信なんだから、突然なのは当たり前だが。

 その発信先を見て、緊張を解いたおんぷが出る。

「……ももちゃん? 今日はご苦労様……」

「あ!! よかった、やっとつながった……おんぷちゃん聞いた!? ハナちゃんのこと……」

「ええ……え? どうしたの?」

「ハナちゃんが、矢田くんとむつみちゃんで、プロレスで……二人とも、怪我しちゃったって……」

「落ち着いて。どういう……ことなの?」

 落ち着いて、などと言っているが……本当に動揺しているのは自分のほうだ。それを押し殺しながら、おんぷはあくまでも冷静に応対する。

「私が昨日、むつみちゃんに変なこと言っちゃったの……矢田くんと勝負したかったら、はづきちゃんを人質に取れって……もちろん冗談だったんだけど、ハナちゃんそれを聞いてたらしくって、それを鵜呑みにしちゃって……」



 電話を切ったおんぷは、微笑していた。

(ももちゃんじゃ、ない……)

 微笑していた。

 ももこがかつて話していたことを、決して思い出さずに。

(ってことは……MAHO堂に遅刻してたどれみちゃんか、家を抜け出したはづきちゃんってことよね)

 微笑していた。

 ももこが話していたその神出鬼没のニンジャは、人間ではない(・・・・・・)が非常に弟思いであるという話を、決して思い出さずに。

(どれみちゃんやはづきちゃんなら…ハナちゃんのためだったら、あれくらいのことするわよね)

 微笑していた。

 ももこが話していたその神出鬼没のニンジャは、どこにでも現れ(・・・・・・・)いずこへと去っていくという話を、決して思い出さずに。

(そうよ。そうに決まってる)

 微笑しながら。

 おんぷは仕事場に向かった。



 男が海辺に立っている。側には、切り立った崖があった。

 男は、そこに流れ着いたマスクを一瞥し……拾い上げる。

 それを見つめながら……それを元の持ち主に返すべきか否かを、考えた。

 が、愚問だったようだ。

 もう、彼女にそれは必要ない。

 だが……

思い出≠ニしてなら、返してやってもいいだろう。

 もし、いつの日か、その彼女とファイトをする時が来たら……

 男はそう自己完結し、いずこへと去っていく。



「シュバルツ・ブルーダー」を名乗る、その男が。



『また会おう、巻機山花――そして、工藤むつみ!! はははははははははは…………』



・エンディング:「海よりも深く / 彩恵津子」(『機動武闘伝Gガンダム』1stEDテーマ)


スペシャルサンクス:河野るりぽこさん、おっかんさん
公開日:2002年06月23日
第一次修正:2002年06月25日
第二次修正:2002年10月14日
第三次修正:2003年10月日