「はい、あ〜〜〜ん♪」
日常を崩すきっかけなど、大したことないのだ。
それは、ほんの些細な出来事でしかない。それなのに何故、人心は乱れるのか。調和は崩れるのか。それは、そのきっかけを起こすものが「人間」だからに他ならない。
そしてその「人間」には、おのずと個性というものが産まれる。
その個性に逸脱した言動がなされた時。それを確認し、人は初めて混乱の渦に巻き込まれる。
しかし、彼は思う。「個性」などという言葉に捕われるから、心を乱すのだと。
考えてもみれば、自分は彼らのことなど何も知らない。長い付き合いかどうかは判断に寄るが、だからといって彼らの全てを知っているはずなどない。そう、だから、こんなことだってあるかもしれないのだ。
自分は、彼らのことなど何も知らない。
だから、受けれればいいのだ。これも彼らの側面だと。自分が見ていなかった彼らの関係性を、今、自分は初めて見た。それだけのことに過ぎないのだと。
あるいは、自分の知らないところで、彼らの新しい関係性が生まれたという可能性だって……
「あ、ほっぺにうどんの切れ端ついてる」
うどんかよ。ご飯粒じゃなくて。
「ん〜〜〜♪」
………………………………………………………………
クラスがざわついた。だが、彼は思う。それがどうした? と。
お前らはこいつらの何を知っているっていうんだ。動揺すること自体が、「何も知りませんでした」と自白していることに他ならないのだ。
俺は、だから心を動かしたりしない。そう、平常心だ。平常心。思考を停止してはいけない。惑わされてはいけない。そう、これは何かの間違いだ。そうに決まってる。あり得ないことだ。いや、そうじゃないんだ。目の前で起こっていることを否定してはいけない。これは現実だ。夢などではない。だが、夢であって欲しいとも思う。いや、そうじゃなくて。これは蜃気楼だ。いやそれじゃ結局幻じゃねぇか。ん、今は真冬だけど蜃気楼ってできるもんなのか? って、そういう問題じゃない。違う、違う、違うんだ。そうだろう父さん? そうだろう母さん? そうだよな藤原?
「長谷部くん、だ〜〜い好き♪♪♪」
ずばべしゃっ。
うどんのつゆに顔を突っ込んで、彼はその思考を完全に停止した。
「お前らだな!? お前らなんだな!? そうだよな!? そうなんだよな!? そうだと言ってくれれば俺としてもありがたいというか何が言いてぇんだ俺は」
「いや、知らんっちゅうねん」
ここはMAHO堂。美空市で流行りの雑貨店、旧お菓子屋、旧々花屋、旧々々アクセサリショップ、旧々旧々怪しげな何とか屋。いや最後のはよく知らないけど。
ともあれ、ここにはある噂があった。実のところ、彼女たち――春風どれみたちがこの店に関わり始める前から。
『その心に迷いを抱えた者は、自然とこの店に引き寄せられる』と。
まぁ、あくまでそれは噂だ。まさるはそれをカケラも信じていない。
何故なら、もしそれが真実なら、6年1組のクラス全員がここに集合しているからだ。もちろん、当事者たるあの2名を除いて。
そして自分が、もうこれでもかというくらいここに入り浸りむしろ関係者になってひたすら雑貨を作り接客し看板娘、違った看板店員になるくらいの気合がなければ、計算が釣り合わない。
「……とりあえず、落ち着きましょう。矢田くんらしくもない」
「いや瀬川、それはじゅうじゅう承知なんだが」
「はづきちゃんが習い事でお休みなのに、MAHO堂に来るなんて」
「そっちじゃねぇ」
いきなり扉を開け、店内へとズンズン進みいきなり叫んだまさる。それを上手いことなだめつつ、おんぷは問う。
「事情は、大体聞いてるわ。むつみちゃんと長谷部くんのこと」
「うちのクラスにも話は伝わってるしな」
「……ああ」
あいこに差し出されたコップの水を一気に飲み干して、まさるはうなずいた。
「これで3日目――」
ようやく、元の調子に戻ったようだ。落ち着いた口調で、彼は語り出す。
「今週の月曜からだ。長谷部のバカと、工藤。あの二人の調子が、明らかにおかしくなったのは」
「おかしくなったって、どこがー?」
「お前には話してねぇ。巻機山」
「いーじゃん、ラブラブでー♪」
「そうだよね〜、長谷部くんも隅に置けないよね。いつの間にくっついちゃったのか」
ハナに加え、どれみまで輪に加わった。うっとりとした表情で、心から
「ラ〜ブラブ♪」
「ラ〜ブラブ♪」
「あ〜、ハナちゃんもカレシ欲しい〜〜!!」
「う〜、あたしだって欲しいよ〜〜。はづきちゃんはいいとしても、ぽっぷにまで負けたまんまだし……やっぱあたしって世界一不幸……」
「あの二人は無視して話を進めてぇんだが、それでいいか?」
「せやな」
「異議なし」
まさるの非情かつ的確な提案に、あっさりとうなずくあいこ、おんぷ。
が、聞こえていたらしい。ハナとどれみが思わずツッコむ。
「えー、ずるいずるい〜。ぷっぷのぷー」
「ひょっとして矢田くん、長谷部くんが羨ましいんじゃないんスか〜?」
ガタッ。
静かに、まさるは席から立ち上がった。
そして――
「…………!!!!」
これ以上ない気迫が、彼の眼光から生まれ出た!!
「巻機山はいい。転校してきたのは今年の4月だからな、長谷部と工藤のことを知らなくても仕方ねぇ。だが――春風」
「……は、はい?」
両手を握り弱々しく胸に当て、あとづさるどれみ。だがまさるは、その距離を一気に詰めて。
「俺の席はどこだ?」
「は?」
流石に小六にもなると、男女の背丈の差が少しずつ出始める。しかも、どれみはややかがんだ姿勢だ。
「どこかと聞いてんだ」
結果的に、まさるがちょうどどれみの顔を見下ろしていることになる。しかも、怖いくらい固まった形相で。それでも、目の中の怪しい輝きだけは消えていない。
「かよちゃんの隣……?」
「そうだな。じゃあ、俺の前の席にいるのは誰だ?」
「……長谷部くん」
「そうだな。ところで、今日の給食。工藤は自分の机をわざわざ誰の席まで運んできた?」
「……長谷部くん」
「そうだな。つまり、必然的に、俺の目の前で連中は給食を食べていたということになるな」
「……はい」
「そして長谷部は、大抵の場合、休み時間でも席を立たねぇ。昼休みならともかく」
「……そうですね」
「で、そういう場合。決まって工藤は長谷部の席までやってくる」
「……そうですね」
「以上のことから導き出される俺の心情を、10文字以内でまとめろ」
「えーと……『いい加減にしろ』?」
「正解だ」
「……それで?」
「俺が一番とばっちりを受けてんだよ!!!! 間違いなく!!!!」
「うわああああああ!!!!」
顔をギリギリまで近づけて叫んだまさるに、どれみはめいいっぱい驚いてしりもちをついた。
際限なく目を吊り上げ、あまつさえその瞳の奥に愛と怒りと哀しみの炎を浮かべながら、まさるは語る。いやさ叫ぶ。魂の
「別に俺はバカ長谷部と工藤が何しようと知ったこっちゃねぇ。だがな、毎日毎日、俺の目の前で、あんな光景を繰り広げられてみろ!? よくここまで俺の平常心が保ったなと、ねぎらいの言葉ひとつあってもいいもんじゃねぇのか!?」
「……いや、矢田くん。じゅ〜〜ぶんコワれてるって」
「あの二人が1組に与えた影響を何よりも物語ってるわね。このアバレっぷりは」
冷や汗をたらしながら、あいことおんぷはつぶやいた。
「はっ、はづきちゃ〜〜ん!? 助けて〜〜、矢田くんが、矢田くんがヘンだよ〜〜〜〜!?!?」
「俺は断じて正常だっっ!!」
五分後。
「というわけで、これは俺が俺自身を取り戻すための戦いだ」
「いや、だから知らんっちゅうねん」
また出されたコップの水を飲み干して、まさるは穏やかに語った。
「え〜ん、ハナちゃ〜〜ん……」
「よしよし。どれみ、いい子いい子」
話はやはり、どれみとハナを無視して行われている。
「せやけど、あたしらに聞かれても……」
「そうか……そうだよな。いや、お前らなら何か知ってそうな気がしたんだけど。クラスの揉め事には、大体お前らがカンでるからな」
「まぁ、どれみちゃんがいるから。でも……それなら、私たちだけでも協力しましょうか? はづきちゃんには、上手く隠しておくから――」
「……いざとなったらな。正直、こういうのは俺は苦手だ」
ため息をついて、まさるはつぶやく。
「だが、何とかしてみるさ。何も知らせずにお前らを巻き込んだら、藤原だって傷つくだろうし」
「あんま、無理せんときやー」
「ありがとな。今日は――済まなかった」
目的を完遂するなら、まず敵(?)を知るべし。
「…………確かにいるな。一緒に公園に」
MAHO堂を去ったまさるは、まずは長谷部とむつみの行動を観察することから始めた。逃げていても始まらない、どこかおかしな点があるなら、いつかそれを吐露する瞬間が訪れるハズだ。そのチャンスを見逃すわけにはいかない。
「そうね。一緒にソフトクリーム食べて。しかも七回り半」
眼鏡を光らせながら、傍らの少女がどうでもいいことまで観察してみせる。静かな公園の森の影から、
そう、
……………………
深々と、まさるは嘆息した。
「運命か、これは?」
「まさるくん」
静かに、だが力強く、少女は――はづきは言う。
「私たち、幼なじみでしょ。何かあったなら、一緒に助け合いましょう」
「別に幼なじみは関係ねぇだろ……」
「でも、まさるくんはいつも助けてくれたもの。私だって――」
「……くそ、妹尾に瀬川だな。藤原にこのこと伝えたの……」
「ええ。当たり前じゃない、大親友だもの」
「大体、習い事はどうしたんだよ」
「もう終わったわ。それから、どれみちゃんをいじめたこと、私まだ許してないのよ。ちゃんと謝って」
「いや、だからそれは――ああわかった、わかったから!」
「何がわかったの!?」
「……何やってるの?」
突然の声に我に返り、振り返るとそこには丸山みほがいた。
「……丸山?」
「ということは――」
「『ということは』って、それって私がみほみほと常に行動を共にしてる運命共同体みたいじゃない」
ということなので、やはり横川信子もいたのである。残念ながら。
「い、いいえ、そんなことないのよ信子ちゃん! ただ――」
「俺は間違いなくそうだと言い切るが」
「違うわっ、あいちゃんとよっ!! 私はずっとあいちゃんと一緒に――」
「……それで、あの。二人は何してるの?」
話の脱線を危惧し、みほが再び問う。個人的な理由もなくはなさそうだが。
「何って、そりゃあ――尾行、みてぇなもんだな」
「私は、まさるくんのお手伝い。それで、信子ちゃんたちは?」
「フフフ……そうね、二人になら話してもいいかもね」
何やら含み笑いをしつつ、信子は満を持して胸を張って、一冊のノートを突きつけた。いつもの創作ノートを。
「全ては私の、このノートの筋書き通りっ!!」
「なるほどそうかそれで全てが納得いったありがとう、それじゃあ俺はこの辺で」
「ちょっとぉ!?!? 矢田くん!? わ、私の書いたシナリオがどんなものか――」
「俺は原因さえわかればそれでいいんだよ。『全部あいつらの芝居でした』ってことがな。じゃな、藤原。お疲れさん」
「ちょ、ちょっとまさるくん!? 待――」
「は、はづきちゃん! はづきちゃんは聞いてくれるわよね、私がみほみほと一緒に、十月十日を費やして考えた、この筋書きの行く末を――」
信子につかまったらしいはづきに心の奥で詫びつつ、まさるは直ちにその場を去った。
全部、明らかになったのだ。それで充分だ。
信子が何故、長谷部と工藤にあんな芝居をやらせたのか。その原因までは興味がない。所詮、他人事だ。それに、何の理由もなく信子がウソをつくはずないのだ。だったら、もう自分の出る幕などない。安心できる。
それに、何より――
「お帰り、まさる」
「……ごめん母さん、俺寝るわ」
「ちょ、ちょっと……?」
「心配ないよ。夕ご飯の時間になったら起きるから」
家に帰り着き、コートを雑に引っ掛けて。慌てて、手を洗ってうがいをして。
自分の部屋に入った直後、まさるはバタッとベッドに倒れこんだ。そして目覚ましをセットして、そのまま、眠った。
たった、一言残して。
「……心配させんなよ」
次の日だった。関先生から、その事実を聞かされたのは。
「工藤は――欠席だそうだ。親御さんから連絡があった」
公開日:2003年06月12日