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3.Bパート

「最低だな、俺は」

 その一言だった。長谷部を前にして、最初に出た言葉は。

 ――長谷部、工藤。俺はお前たちのことを、何一つわかっちゃいなかったよ。



 話は、当事者たる長谷部、むつみの両者を抜いた全員で行われた。

 その後、何があったのか、全員で報告したのだ。

 まさるが去った、あの後。「芝居」は終わった。

「……と、いうわけで。むつみちゃんのために、私たちが一肌脱いだってワケよ」

 そう胸を張る信子が、昨日その場で語った筋書き(・・・)はこうだ。

 むつみを見初め、言い寄ってきた他校の男子がいた。

 ハーフなのか、見事な金髪のロングヘアを腰まで垂らした少年だった。スタイルも申し分なく、どれみあたりだったら間違いなく二つ返事でお付き合いを了承しただろう。

 だがむつみには、プロレスラーという夢がある。それを叶えたい。だから、お付き合いは出来ない。

 しかし、自分には上手く断れそうにない。

 その話を聞いた信子が、「既に相手がいる」からとその相手に伝えるために、むつみと長谷部をさも恋人同士かのように振る舞わさせようとしたのだ。

 長谷部に協力を要請し、むつみと共に演技の特訓をさせた。

 そして、作戦決行期日は四日前の月曜日。むつみが長谷部と腕を組みながら登校するところから、芝居が始まっていた。

 大衆の前での演技力を養うため、またクラス全員にも「既に相手がいる」という事実を浸透させ、情報の漏洩(ろうえい)を防ぐために。わざわざ毎日毎日、クラスでその「芝居」をさせていたのだ、と信子は語った。

 そして、決行の日。

 むつみを見初めた男子に、むつみが長谷部を紹介する日。それが、昨日だった。

 それも終わり、その男子は颯爽(さっそう)と去っていった。

 作戦成功と信子が叫んだ横で、はづきは。

「でもあの人って、ももちゃんに似てない?」

 見事に核心を突いてしまった。

「信ちゃ〜〜〜〜〜ん????」

 その後いきなり現れたあいこに、信子は全てを白状したのだった。

 むつみと長谷部をくっつけるために、ももこに男装してもらって、このシナリオを組み立てたのだと。

 もっとも――問題はそこにはなかったのだが。



 かくして、芝居は終わった。作戦は終わった。労をねぎらうために、信子たちが姿を現した。

 さすがに、むつみにも長谷部にも、あの男子がももこだったことを伝えてはいない。

 まさるへの謝罪の意をはづきに伝えながら、むつみは言った。満面の笑みで。

「本当にありがと、長谷部くん。やっぱり持つべきものは、幼なじみ(・・・・)よね」

 はづきの心が跳ねた。

「…………ああ」

 複雑な表情をしていた長谷部の様子に気づいたのは、はづきだけではなかったのかもしれない。

 だが、少なくとも。むつみは気づいていなかった。

 だからこそ、彼を家に招いた。何でもいいから、お礼をしたいと言って。



 放課後。MAHO堂にて。

 全ての打ち明け話が終わった後、まさるは口を開いた。

「結局俺は、自分のことしか考えてなかったよ」

「そんな!!」

 声を少しだけ荒げたはづきを、まさるは制した。

「考えてなかったんだよ、何も。長谷部のことも、工藤のことも」

「違うよ」

 か細く、信子がつぶやいた。

「私が面白半分で、二人をくっつけようなんて考えたから――」

「それなら私も!! 私だって、一緒に――」

「やめときや、二人共。きっと……むつみちゃんと長谷部くんに、何かええ思い出を作ってあげようと思たんやろ?」

 涙ぐむ信子、みほを、あいこがなだめる。

「……もうすぐ、卒業やしな」

 搾り出すように、あいこが付け加えた。ちょっとだけその表情には、影が刺している。

 だが、それでも止まらない。大粒の涙をこぼして、ハナが言った。

「そうだよ……ハナちゃんだって、長谷部くんの気持ち全然わかってなかった」

 思わずどれみが、そしてももこが駆け寄った。

「ハナちゃん、それはあたしも同じだよ!?」

「あたしだって!! 何も考えずに、むつみちゃんを騙して――」

「皆、やめましょう。自分のせい自分のせいって言い合っても、何の解決にもならないでしょ」

 やはり、おんぷだった。こんな時、皆を導くのは。彼女の透き通るような声、そして全てを見通す、力。

 このまま彼女の話を聞いていれば、またいつものように、どれみが決断する。そして、彼女たちが先陣に立って奔走するのだろう。級友を助けるために。

 だが――そうじゃない。

「そうじゃないんだ、瀬川」

 そうであってはいけない。この時ばかりは。

「矢田くん?」

「やっぱり俺だよ、悪いのは」

「そんなこと――そんなこと!!」

 どんどんはづきの声のトーンが上がっていく。が、それを無視してまさるは続けた。

 自分は、長谷部のこと、工藤のことを、何も知らなかったんじゃない。

「何が『一番とばっちりを受けた』だ」

 何も知ろうとしなかった(・・・・・・・・・・・)んだ。

「だからこそ、俺があいつらを止められるくらい……それくらい、一番、近くにいたってことじゃねぇか」

「……矢田くん」

 信子が、この時一番責任を感じていただろう信子が、級友の名を呼ぶ。

「俺はあいつらの目の前で、一番近くで、あいつらのあの下手くそな芝居を見続けた。いや、何も見ちゃいなかったんだ。目を閉じて、無視し続けて――少しでも努力していれば、何か変わったかもしれない。一言声をかけるだけでも、何かを前向きに進めることができたかもしれねぇんだ」

 突然、扉のほうに振り返る。一同の視線を背に受けながらも、彼は続けた。

「だが、俺は何もしなかった。だから、俺がやる」

 そのまま、不意に駆け出した。

「お前らは手を出すな。俺が、何とかしてみせる!」

 出口を勢いよく開け、全てを振り切って外に飛び出す。

 そして、はづきも。

「まさるくん!」

「は、はづきちゃん!?」

「私も行く! 私じゃなきゃ、私が行かなきゃいけないの!」

 どれみの呼び止める声も聞かず、はづきも飛び出した。彼女にもう、迷いはない。

 ただただ、辺りに流れるのは静寂のみ。

 嘆息して、おんぷは言った。

「任せましょう。あの二人に」



 いつの間にか、外では雪がちらついていた。

 真っ白に染まった空気の中、全速力で駆けていく。

 と。

「私!! 私、嫌だから!!」

 遠くから、声が聞こえた。自分が一番よく知っている声だ。

「このまま卒業なんて、嫌だから!! みんなで笑って卒業できなきゃ、嫌だから――!!」

 わかってる。

 だからこそ、彼は走った。

 俺は、長谷部のことも、工藤のことも、まだ(・・)何も知らない。

 そして、知っていようと、いなかろうと。

 俺にはできることがある。俺だからこそ、できることがある。

 ――いや、やらねばならない。

 俺には春風のようなことはできない。藤原のような優しさだって、多分、持っちゃいない。

 それでも――



 結局、長谷部を見つけるのには、ゆうに二時間を費やした。宛てもなく走り続けたのだから、当然だが。

 お約束といえば、お約束だろう――彼は、あの公園にいた。昨日、まさるが途中退出したあの公園のベンチに、座っていた。

 雪は、あっという間にやんでいて、積もることすらなかった。

 そんなもんだろう。大いに、まさるは納得していた。自分は、あいつらとは違う。

「……俺だろ、それは」

 一瞬、その言葉の意味を探ってしまった――「自分のほうが最低だ」と、長谷部は言いたいのだ。気づくのが遅れたのは、彼が返答するのに充分すぎる時間を費やしたからか、それとも自分自身が思いの他疲れているのか。

 若干の間をおいて。

 ドサッ、と、まさるは長谷部の隣に座り込んだ。

「……何のつもりだ?」

「別に」

 本心を言っただけだ。別に、意味なんてない。

 彼は全てを受け入れていた。自分は、あいつらとは違う。あいつらなら――春風なら、何の躊躇いもなくぶち当たるのだろう。真正面から、彼の心の痛みを受け止めようと尽力するのだ。不器用に、けれども、包み込むように。

 藤原も、妹尾も、瀬川も、飛鳥も、巻機山も。手段と役割こそ違えど、彼女たちも同じだ。

 だが。

 結局、自分には何もできない。あいつらのようなことは(・・・・・・・・・・・)、何も。

 だから、とりあえず、長谷部に任せることにした。

 話すも、このまま黙り込むも自由。

 そもそも――肝心なことを忘れていたのだ。皆。

 何故、むつみが今日、学校を休んだのか。

 あの「芝居」が終わった後、長谷部とむつみの間に、何があったのか。

 それを……誰も、知らないのである。

 終始浮かない表情のまま、終始何も喋らないまま、下校した長谷部の態度から、類推しただけなのだ。

 何もしようがないではないか、これでは。自分にできることなど、ないのだ。

「行動」を起こすことは。

「……あー、寒っ」

 だから。

 彼は、彼のできる範囲内で、はづきのような(・・・・)――彼女たちっぽい(・・・)ことをした。

 友を、信じることを。

 そして、側にいることを。

「…………だから、何なんだよ」

 かろうじて、長谷部が口を開く。こちらを向かぬまま、うつむいたまま。

「仕方ねぇだろ、冬なんだから寒いんだ。もう1月だぜ」

「……じゃあ、いちいち口に出すなよ」

「うるせーな、寒いと言う奴が寒いんだ」

「言ってること無茶苦茶だ」

「知るかよ」

 何の意味も成さない会話。それが、途切れた。

 長い、沈黙。

 閑散とした空気が、微妙に白く染まっている公園に流れる。

 改めて、まさるは自覚した。

 ――俺、喋るの苦手だ。

「……それにしても寒――」

「バカ矢田」

 不意に。

 本当に不意に、長谷部が名を呼んだ。

「……あん?」

「一度しか言わない。真剣に答えろ」

「何を」

 全てを無視して、長谷部は問うた。最初から、解答など期待していなかったのかもしれない。それでも。

「幼なじみって何だ?」

「さぁな」

「……………………」

 再び。長い、沈黙。

「お前、ホッッッント、何しにきたんだ?」

「……俺にもさっぱりわからねぇ」

 そう、本心をありのままに言い返して――ふと、思いついたことを付け加えてみる。

「少なくとも、今、お前が期待したようなことのためじゃないことは確かだ」

「ああ?」

「大体だな」

 そしてやはり思いついたことを――前々から、三年位前からずっと感じていたことを、口にしてみた。

「藤原と春風。あいつらも幼なじみだ」

「……そうらしいな」

「で、俺と藤原も幼なじみ。だから必然的に、俺と春風も幼なじみということになる」

「だからどうしたんだよ」

「わかんねー奴だな。つまり――」

「長谷部くん!!」

 聞き知った声に、二人が反応する。

 コート姿の――工藤むつみだった。

 傍らにいたはづきの姿で、事情が知れた。

 大きくため息をついたまさるは、ゆっくり立ち上がる。

「まさるくん、ひょっとして――」

 駆け寄ってきたはづきに、まさるは手を上げた。両手を。

「いや違う。むしろ――今ほど、春風が凄い奴だと思ったことはなかった」

「?」

「……何でもない」

 心中ではづきに礼を言いつつ、まさるはもう何度目かもわからない嘆息を行った。

 通りで寒いはずだ。いつの間にか、再び、雪がしんしんと降り始めていた。

(やっぱ、お前らにはかなわねぇよ)



 長谷部は、ベンチから動いていない。

 むつみも、その場から動いていない。

 結果、まさるとはづきを間に挟む形で、二人は会話していた。

「顔――上げてよ、長谷部くん」

「……断る」

 それを「会話」と呼んでいいかどうかは、大いに疑問符のつくところだが。

「合わせる顔がないの……私のほうだもん」

「…………」

「……私! 私が、長谷部くんの気持ち、傷つけたの」

「…………」

「長谷部くんが、私のこと大切に思ってくれてること、ずっと知ってたのに……」

 その切なさに。その痛さに。

 むつみは、己が身を両手できつく抱きしめた。涙ぐんですら、いた。

「むつみちゃん……」

 その思いを感じ取り、はづきがつぶやく。込み上げる思いに耐え切れず、その瞳からは既に一筋の涙がこぼれ始めている。

 まさるも、ただただ。むつみのほうを見つめるだけだった。何も言えない。この場に自分たちがいていいのか、そのことにすら罪悪感を覚えていた。

 だが、動けない。まさるもはづきも、二人の間に流れる感情のうねりに飲み込まれ、縛り付けられ、身動きがとれずにいた。

 長谷部が、か細く。口を開く。

「……やめろよ」

「ううん、やめない! 私、長谷部くんの気持ち、知ってるもの!」

 雪はどんどん強くなっていった。それでも、むつみの声は長谷部に届いている。

「長谷部くんが、小さい頃からずっと、私のプロレスの相手をしてくれていたこと――」

 一言ももらさず、自分の思いを伝えるために、彼女の声もどんどん大きくなっていく。

「そして、私が挫けそうになった時も、ずっと支え続けてくれたこと……応援していてくれたこと――」

 そして――

「……………………私、ずっと忘れてない」

 そして――

「……………………」

 そして――

「……………………」

 そして――?

「……………………それから?」

 思わず。はづきがぽつりとつぶやいた。

 正直、まさるも同感であった。おそらく、はづきも自分と同じ考えに至ったのだろう。別に自分は色恋沙汰には興味ないが、それでも何となく入ってくる情報から、こういう展開の最後に行き着く先はおおむね予想がつく。

 が。

 その「先」の部分だけが、きれいに抜け落ちていた。

 まさるは空を見上げた。雪はとうとう、本降りになったらしい。

 まさるは地面を見つめた。もう、真っ白なじゅうたんが辺りを覆い始めている。

 まさるははづきを見つめた。ぶんぶんぶん、とはづきは首を振った。つまり、自分はむつみをこの場に連れてきただけで、長谷部との間に何があったかまでは聞いていないということだろう。

 大きく。まさるは深呼吸した。

「工藤。一つ聞いていいか」

 何とな〜く胸に突き刺さる、な〜〜んか嫌〜〜〜な予感を押し殺しながら。

「昨日、あの後。長谷部との間に、何があった?」

「……うん」

 いまだ、むつみはその切なげな表情を崩していない。

「私の部屋で、プロレスの練習したの……」

「そうか」

「そしたら長谷部くん、いつもと違ってかなり好戦的で……最後にはマウントポジションを完全に取られてしまったの」

「なるほど」

「とうとう、私は身動きが取れなくなった。やられる、と思った瞬間――」

「…………」

「私の中の……私の中の、防御本能が働いてしまったの!」

「……何だって?」

 突然のその単語に、いぶかるまさる。

 と、突然。むつみがまさるの目の前まで詰め寄ってきた。

「矢田くん、これは重大なことよ!?!?」

「……な、何が?」

「私はプロレスラーを目指すの!! 絶対、女子プロレスラーになるの!!」

「……あ、ああああああ、そうだな。頑張れよ」

「ありがと。でもね、だからこそ!! 絶対にしてはいけない禁じ手≠ェあるの!!」

「そうなのか?」

「そうよ!! 矢田くんならわかるでしょ!? 男性だからこそ持ちえる急所があるって!!」

「……え?」

 さらりと言いのけたむつみとは対照的に、はづきが思わず顔を赤らめた。それを見逃すむつみではない。

「そこっ、恥ずかしがっちゃダメ!! これは本当に、大事なことなのよ!?」

「え、ええ……確かばあやが、いざという時はそうやって自衛しなさいって教えてくれたことが――」

「そういうことっ!!」

 大きく、むつみは断言した。

「だからこそ、プロレスでは!! 凶器攻撃と並んで、いやそれ以上に、急所攻撃は為してはならない大罪なのよっ!!」

「……そうか。いや、で、それがどういう――」

「私が目指すのはキャンディ伊藤!! キャンディのような、正統派女子プロレスラーなの!!」

「聞いてねぇだろ。俺の話」

 もはやまさるは眼中にないむつみは、ただただ自分の「思い」を語り始めた。「女子プロレスラー」という夢を。

「だからこそ――だからこそ!! プロのレスラーを志す者として、自分の本能は極力押さえてプロレスに挑まなければならないの!!」

 勝手に語りだすむつみ。最初から何も変わらない切なげな表情のまま。

「それなのに……そのはずなのに、自分が負けそうになったからって、せっかく練習相手になってくれた長谷部くんを禁じ手≠使ってまで振りほどいて、あまつさえそのまま逃げ出すなんて――っっ!!!!」

「……………………」

「レスラー…………失格ね」

 的中したらしい。自分の、嫌〜〜〜な予感は。

 それを確認しながら、まさるは絶句した。

「……………………つまり」

 その代わり――かどうかはともかく。

「むつみちゃん、長谷部くんに何をされたのか、全く気づいてない……ってこと?」

 はづきがまとめた。眼鏡を半透明にしながら、ひきつった表情で。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい、長谷部くん!! せっかく応援してくれてるのに、私、それを裏切った――」

 とうとう泣き出してしまった、むつみ。

「私、長谷部くんの思いを――長谷部くんがずっと応援してくれている、その思いを傷つけた――ごめんなさい……」

 だが、今となっては、もはやまさるとはづきに彼女からもらい泣きをする術はない。

「……………………長谷――」

 いたたまれなくなって、まさるが長谷部のほうを振り向くと。

 とうとう吹雪になってしまった、悪天候の中。

 ベンチに座ったまま、うつむいたままで。

 真っ白に、長谷部は凍り付いていた。色んな意味で。



 その日。美空市は過去の豪雪記録を更新するほどの、大吹雪に見舞われた。



 それは、卒業≠ニいう彼らにとって未知の単語が産んだ、一つのすれ違いだったのかもしれない。

 そうでも思っておかなければ、阿呆らしくて仕方がない。

『はああああっ、くしょん!!』

 次の日。金曜日。

 取り戻された日常の中、二人仲良く、まさると長谷部はくしゃみをしていた。

「…………なぁ、バカ矢田」

「何だよ」

「ひょっとして、俺はバカか?」

「安心しろ。それなら俺も同じくらいバカだった」

 素直に、珍しく素直に。まさるは認めた。そのまま続ける。

「慣れないことするもんじゃねぇな、お互いに――」

「全くだ――」

『ふぁ、ふぁ、はあああっくしょん!!』



「何してるの、むつみちゃん……?」

 屋上のてっぺんで、一人ぽつんと空を見上げているむつみに、はづきは声をかけた。はしごの下から。

「ん……考え事」

 それに気づいたむつみは、カツンカツンとはしごを降りながら、語った。

「ねぇ、はづきちゃん」

「……何?」

「どうしてだろうね」

「何が……?」

「別に男子とプロレスすることなんて、慣れてるのに。ジムでも、普通に男女混じって練習してるのに」

「そうなの?」

「うん。皆必死よ。一生懸命、プロレスラーになるために努力してる。もちろん私も。だけど――」

 スタッ、と床に飛び降りて。むつみは言った。

「どうしてだろうね。長谷部くんにだけ、あんなことしちゃったの」

 はづきに、むつみの表情は見えない。

「……むつみちゃん」

「それだけ! 気にしないで、昨日は本当にありがとう!」

 振り返ったむつみは、笑顔だった。そのまま、屋上から去っていく。

 取り残されたはづきは、思う。

(ひょっとして、むつみちゃんは――)



「……横川。俺は今回の騒動で、一つだけ学んだことがある」

「……え?」

 謝意を述べにきたらしい信子、みほ、そしてももこに先んじて、まさるは言った。椅子に全体重をかけて、両腕を頭の後ろで組んだ、いつもの姿勢を崩すことなく。

「例えば――」

 信子、みほ、ももこ、さらには長谷部も、彼の親指を刺した方を向くと。

「……うるせーよ、どじみ!」

「いい加減にしなさいよ、小竹!! あんたいつまであたしのこと『どじみ』って言うつもり!?」

「お前のドジが直るまでだよ、どじみどじみどじみー」

「うるさーい!! ぷっぷのぷー!!」

「どれみちゃーん……まだ、全っっ然シンポする気ないの……?」

 呆れた表情で、ももこがうめく。

 もっともこれは、信子とみほとももこが、全てをクラスの前で自白したからだ。

 全てが「芝居」と知り、クラス中に何より浸透したのは安心感だった。関先生のお(とが)めもそこそこに、あっという間にクラスは元の日常を取り戻したのである。

 ともあれ、まさるは言う。

「長谷部。あいつらも『幼なじみ』だってこと知ってたっけか? 小竹も幼稚園が一緒なんだよ、俺や藤原と」

 そして、最後に。

「人それぞれなんだよ。幼なじみだろうと、親友だろうと、何だろうと」

 人間関係の築き方なんて、誰が決められるもんじゃない。

 友達か、親友か。親友か、大親友か。幼なじみか、彼氏彼女か――部外者の知ったことではない。

 茶化すのもいいだろう。応援するのだって、もちろん構わない。

 だが、最終的に決断を下すのは、あくまでも当人たちだ。

 例えば――はづきにも、夢がある。バイオリニストという、譲れない夢がある。

 もし、その彼女の未来に。自分が、少しでも重なる部分があるのなら。それとも、離れていくべき時が来たのなら――

「……何だそりゃ」

 意味を図りかねた長谷部がツッコむ。が、まさるはにべもない。

「知るかよ。俺にわかるのはそれだけだ」

「私――」

 みほがつぶやいた。あまりにも突然だったから、全員が目を丸くして彼女に視線を集める。

「私、ずっとずっと、信ちゃんの側にいるから」

「…………みほちゃん」

 ももこの表情に、陰りが見えた。

「…………」

 信子も、だ。その虚ろな瞳が見つめる相手は、おそらく一人だけだろう。

 もうすぐ――卒業だ。

 ガタン、と勢いよく、まさるが立ち上がった。

「言っただろ? 『人それぞれ』だって」



 重なろうと離れようと――その時決めればいい。自分たちの手で。



「関係ねぇんだよ。何があろうと」



 それぞれが、それぞれを想っているのなら。



・エンディング:「忘却の空 / SADS」(『池袋ウエストゲートパーク』EDテーマ)


公開日:2003年06月12日
スペシャルサンクス:トウヤさん