プロローグ

 その日、世界は砕け散った。

 それは比喩(ひゆ)ではない。彼女は確信していた。

 空が黒ずみ、地面がはぜ割れ……全ては闇へと消えていく。もう何も――残っていない。

 虚無ですらない、皆無の世界。



 どこを歩いているのかもわからない。いや……歩いているかどうかもわからない。

 足の感覚がない。

 と……彼女は気づいた。そうではない。そうではないのだ。

 足の感覚がないのではなく……足がないのだ。自分の両足が。

 ならば何故、自分はそこに立っているのか……否。

 踏みしめる大地がないのに、自分はどうやって立っていた?



 慌てて手を見る。1年前に比べれば確実に荒れだし、そしてそれを誇らしく思っていた、自分の両手も……ない。

 腕も、やがて……肩も消える。



 消えていくのは、見えるものだけではなかった。

 不意に、何も見えなくなった。頭が……消えたのか? そう判断することすら、彼女はできなくなっていた。

 もう、何も考えられない。思考も、闇に沈んだ。



 自分の全てが……消えていく。



 当然だ。

 ()るべき世界なくして、どうやって、生きていけるのか?



 世界と共に――彼女も砕け散ろうとしている。それを静かに、彼女は受け入れ……










 嫌だ。



 嫌だ。嫌だ。



「そんなの嫌だ!」



 声を出すことすらできなくなったその身体と、その精神で……彼女は叫んだ。わずかに残された、自分の全てを賭けて。



 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!



 誰か……助けて。



 もう誰も……何もなくなったはずのその世界で、彼女はつぶやいた。



 助けて――





 刹那(せつな)

 闇の中に生まれたのは、光――ではなかった。



 それでも敢えてそれを「光」と表現するなら、それは黒き閃光。

 闇に包まれたはずの世界の中で、その黒い光は、どういうわけか際立って見えた。

 漆黒でありながら……決して闇に飲み込まれることのない、輝き。



 その輝きは、既に、彼女の眼前にまで迫っていた。


公開日:2002年06月16日
第一次修正:2002年10月10日
第二次修正:2003年07月08日