『一年越しのFriends』Chapter_2 (作・neneさん)

『一年越しのFriends』

///////////////////////////////////////////////迷走////////////////////////////////////////////////

 吹き荒れる白い風。
 赤くなり、ジンジンと痛みを感じ始めている手足。
 人混みは無く、正月の時期みたいに走る車も見かけない。
 家々には明かりが灯り、楽しそうな話し声が聞こえてくる。
 眼鏡をしていても入り込む雪は、冷たく、流れる涙と混ざり合う。
 はづきは美空町を走っていた。まるで何かから逃げるように必死に。
 それでも限界は来るもので、気がつくと彼女はトボトボと歩き始めていた。その顔には覇気が見られず、つ
い先ほどまで見せていた、強さの秘められた瞳も成りを潜めている状態。
 吹雪の中でいつまでも歩いているわけにもいかず、公園で小さく佇んでいる滑り台に入り込む。この滑り台
は中が空洞上で入り込めるようになっているため、多少の雨風なら防げそう。
「私…何でこんなに悲しいの…?」
 はづきは雪でしっとりした手袋を見ながら、小さく身を寄せていく。涙に滲んだその瞳は、曇った眼鏡に阻
まれて、その姿を隠していく。
 強引に入ってくる北風のせいで、彼女のポニーテイルがたなびかれる。
「去年、どれみちゃんと離れ離れになった時にだって、こんなに取り乱さなかったのに…。」
 天井は完璧に存在するわけでは無いので、しゃがみ込んだ彼女の頭には、すでにうっすらと雪が積もり初め
ていた。それでも彼女は、その事にすら気が回せないようで、振り払おうとする仕草さえ見せない。
 どんより重たい空気の中で、手に持ったままだった手提げ鞄に目が入る。彼女は不意に手を入れると、自然
と、ごく当たり前のように一つ取り出した。
 愛らしい木製のそれは、縁日などで見かけるようなごくありきたりなおもちゃ。お菓子のようにデフォルメ
されたまん丸な鳩型で、申し分程度にリコーダーのような吹き口が付いている。吹けば音が出るだろうけれど、
音を調節する為の穴は見かけられず、たぶん音は一音階しかない様子。おまけに年代物らしく、あちらこちら
に細かな傷か付いている状態。
「そう言えばこのはと笛…、演奏する時はいつも、お守り代わりに持ち歩いてたんだっけ…。」
 ふとした拍子で手に取ったはと笛。何でも無いようなこのおもちゃを見つめるはづきの瞳は、うっすらとな
がら生気が戻ってきた様子。小さく縮こまっていた体も、少しばかり落ち着きを取り戻す。
 しばらく、ただはと笛を見つめていただけだったはづきだけれど、不意に吹き口を唇にあてて息を吐く。暴
風のような風の中で、何とも言い難い安っぽい音色が微かに紛れ込む。
 吹き続けるはづきの頭の中で、不意にインスピレーションのような感覚が襲いかかる。まるで、はと笛が水
門を開くスイッチだったかのように、その勢いは止まる気配を見せない。

 倉庫で補導された事を聞いて心配した事…。
 禁呪を使ってしまい病気にかかった時、こっそりお見舞いに来てくれた事…。
 肝試しでおばけが怖くて、一緒にマジョリカと叫んだ事…。
 宮本君の選挙戦が不利な状況だった時も、こっそり応援してくれた事…。
 サンタさんのお手伝いをした時、こっそり彼へのプレゼントを置いた事…。
 魔女見習い姿を見られて驚いた事…。
 母の日にママへの想いを聞いた事
 学芸会でトランペットを吹く彼を見た事…
 クラス変えで別々になった事…
 剣道の試合で、彼が素手で相手を倒した事…
 しおりちゃんとの件で、彼の優しさを再確認した事…
 進路を相談して、力強く応援してくれた事…

 きらきら星を吹いてくれた事…

 まるで映画の予告を眺めているかのように、今までの思い出が鮮明に蘇ってくる。場所、人、声。多少の劣
化は仕方のない事だけれど、その鮮やかな思い出は、彼の存在を色濃くするには十分事足りたみたい。
 やがてはづきは、静かにはと笛を膝の上にそっと置く。今にも泣きそうな顔で上を見上げると、吹雪と呼べ
るほど激しかった風はいつの間にか止み、糸くずのようにフワフワした牡丹雪が舞い降りてきている。
「そう…そうだったのよ。」
 はと笛に微かに積もった雪を払いながら、自問自答のように言葉を漏らすはづき。曇った眼鏡のまま、膝の
上にあるはと笛を見つめる彼女は、子犬のように微かに震えていた。寒さも影響しているとは思うけれど…。
「私がトランペットを”Friends”に入れなかったのは…」
「藤原なのか!?」
 雪降る無音の静寂に、突然かけられた第三者の声。聞き慣れたその声に、はづきははっと顔を上げる。
 少し細い目は洋猫のように艶と深さを持ち、肩まで伸びた髪は使い終わった歯ブラシのように先端がボサボ
サ。スラリと長い手足は、スッポリと防寒着の中。はづきより頭半分くらい高い彼は、細身ながらもしっかり
と、付くべき所はキチンと付いている理想の体格を誇っている。
 滑り台の上から来た彼は、そのままはづきと目が合う。左眉が上がった感じの彼は、いつもの彼らしくなく、
まるで何かに追われているかのように必死の形相を見せていた。肩も上がっており、白く広がる吐息も風船の
ように大きい。はづきはそんな彼の様子に、思わず後ずさる。
「まさる君!?どうしてここに?」
「伊集院から連絡があったんだよ!藤原が行方不明になったってな!」
 滑り台の中で小さくなっているはづきに、矢田は早口で伝える。少々ぶっきらぼうで力強い声に、はづきは
身をすくめながら瞳孔が大きく開く。
 矢田が降りてこようと身を屈めた時、はづきの頭は真っ白になるような恐怖に襲われる。大切にしてきたモ
ノが崩れてしまうような感覚に、彼女はこの場所が急に恐ろしい所に感じられてきた。
「いや!!」
「あ、おい待てよ!ったくワケ分かんねぇヤツだな!」
 次の瞬間。はづきは何処に隠していたのか分からない程の力で、手荷物片手に走り始めた。日常の彼女から
は想像もつかない程の素早さに、矢田は顔をしかめる。
 パラパラと音もなく降り続ける雪を背景に、はづきと矢田は美空町を駆けて行く。人も車もあまり見かけな
い状況で、矢田がはづきを見失うわけもなく、彼は無言で彼女を追う。

 何の工夫も感じられない手すり。しかも、垂直飛びで上に乗れるくらい低い。
 下に流れる河は浅瀬だけれど広く、土手も結構しっかりしてる。
 敷き詰められた石畳は汚れ、時間の蓄積が匂う。
 走った勢いで2人は、小さな橋にたどり着いていた。普段は行き交う人々が多いはずなのに、今日はさっぱ
り見かけない。溶けかけた雪が危険な感じ。
「きゃ!」
 案の上、小さな悲鳴と共に、足を滑らせたはづきのバランスが大きく崩れる。そのまま地面に叩き付けられ
ようとしたその瞬間、矢田に思いっきり引っ張られて、2人は鼻と鼻がくっつくような距離にまで近づき会う。
 社交ダンスのような一連の動きにしばし呆然とした後、急に離れる2人。せっかく苦労して捕まえたはずだ
けれど、矢田はそれどころでは無いみたい。
 対するはづきもショックが大きかったようで、金縛りにあったようにその場で立ちつくしてる。先程の勢い
で手から外れてしまった手袋も、無意識下で掴んでいる様子。
 辺り一帯の時間がえぐり取られて空洞化したかのようにお互いの瞳を覗き合うだけの2人。しばらくして、
急激に時間が入り込んだようにはづきの口が動き出す。
「私を捜しに来たの?まさる君、誰にでも優しいから…」
「そんな事あるわけないだろ!バカじゃねえの!?」
 矢田の一言をまともに受けて、一歩交代するはづき。その瞳は、追いつめられた小動物のようにか弱く、涙
腺は表面張力で何とか支えられているような状況。
 それでも矢田は緊張状態を解かない。その真剣な眼差しは、対戦相手を威嚇する時すら比較にならない。
 小さくなっているはづきに矢田が何か語りかけようとした時、予想もしない風が吹く。深々と厳かに降り続
けた雪景色からは想像すらする事の出来なかったその風は、まるでナイフのように鋭く、台風にも負けない力
強さで2人の間をすり抜けていく。その拍子にはづきの手から、無意識に掴んでいた手袋を奪い取りながら。

 2人はこの光景を目の当たりにして、共通の絵が思いが頭に飛び込んでくる。
 今立っている橋で、今と同じように2人きり。自分の腰の高さも無いくらい小さな頃、気ままな風のイタズ
ラで、当時はづきのお気に入りだった帽子がまるで木の葉のようにさらわれてしまった景色。
 はづきには風にさらわれた手袋が、確かに昔好きだった帽子に見えた。
 矢田には手すりにしがみつく彼女が、確かに昔好きだったか弱い少女に見えた。

「あぁ!」
 はづきが小さな悲鳴をあげるのとほぼ同時に、矢田は何も言わないまま手すりを飛び越す。先程と何ら変わ
りの無い真剣な表情のままで。程なくして、ボチャンと鈍い音が広がる。
「まさる君ー!!!」
 すり鉢で挽きつぶされたような悲痛な叫び声が広がっていく。はづきは手すりにもたれ掛かるように身を乗
り出し、悲痛な顔で必死に河原を見渡す。溜まりに溜まっていた涙が、その勢いで宙を舞っても気にする素振
りすら見せない程頭が空っぽになってしまっている様子。
 必死に探る中で、彼が河原の端からはい上がって来ている様子が視界に入る。はづきはいても立っても居ら
れないと言った感じで、矢田の方に走り寄って行く。河原の側に立つ彼は、プールから上がったばかりみたい
に全身がずぶ濡れで、着ている服はすすぎ洗いをまだしていない洗濯物のよう。
 ポツポツと降り続ける雪の中。ただただはづきは顔を青くさせるだけで、合わせる言葉も出てこない。矢田
は含み笑いを見せて、彼女に手袋を投げ渡す。
「ほら、手袋。あの時と同じ事はご免だからな。」
「まさる君…。」
 矢田の一言に、手袋をギューッと両手で掴むはづき。限界を超えた涙が、堰を切ったように溢れ出す。
「なぁ。こんな事をお前以外にしてやる程、オレはお人好しに見えるのか?」
「ばか…。」
 わざとらしく惚けてみせる矢田に、はづきは涙を拭いながらそっと寄り添う。淡い雪で彩られた2人は、恋
人と言うよりかはまるで母親と子のような暖かい雰囲気で、この瞬間を永遠と交換する事を望むように深く抱
き合っている。まるで、互いを確認し合っているかのように。

公開日:2004年02月16日