◆ ◇ ◆ ◇ ◆
花。
それはあくまでも、植物の生殖活動のための機関の一つだ。その花びらの形や色合いの美しさも、香りのかぐわしさも、花粉を運ばせる虫を招くためだけのものだ。本来は。
それは決して、人間たちが鑑賞するために作られたものではない。本来は。
で――
彼は今、その花の中にいた。何故か。
「うわぁー、お花、お花がいっぱいー♪」
「当たり前だ。花屋だぞ。ここは」
「やっぱり、花って素敵よねー。花のない人生なんてつまんないわよ、うん。花は人生に彩りを添えるの。それがどんなにすさんだ人生だとしても」
「……わかったから仕事しろ、仕事」
ここに来た時一瞬で、クリーオウの機嫌は名乗っていた。世の中そんなもんだと、何十回目になるか数える気もしない現実を受け止めて、オーフェンは働いていた。ひたすらに。
「ったく、何でこっちの世界に来てまで、バイトなんぞせにゃならんのだ……」
そう
「僕らの世界じゃあ、アルバイトなんてしてる暇なかったですもんね……でも、よかったじゃないですか。ここで二週間働けば、その給料で吹き飛ばした森に対する賠償金が返済できるんでしょう? そして何より、彼女の機嫌が直ったし」
「ああ……それだけでも、満足せにゃならんだろうな。どうやら俺たちは、あの『魔女界の女王』とやらにでっかい借りができたらしいぞ」
「ですね」
「――何を言うかっ!」
と、いきなり怒鳴られた。緑色の物体に。
「かの女王様に敬称を付け忘れるとは、何と無礼な……」
ブツブツ言い続ける、その緑色の物体。一応、この店の――《MAHO堂》のオーナーらしい。彼女も魔女だが、故あって現在は《魔女ガエル》という姿に変えられているという。一本足の緑のクラゲのような、巨大なオタマジャクシのような体型のそれを、「カエル」と呼ぶにはいささか抵抗があるが。
とりあえず、その首(?)飾りにぶら下がっている水晶玉だけが、彼女が《魔女》である唯一の証拠となっていた。そうでなければ、「ほうき」ではなく「チリトリ」に乗って空を飛んでいることか。媒介はともかく、特殊な能力でもない限り空は飛べまい。
で、その「カエル」に――マジョリカに、オーフェンは言う。
「へえへえ……にしても、だ。昨日も思ったんだが、別に君主制でもない、きちんと選挙制で選ばれたはずの統治権者に過ぎない人間――いや《魔女》に対して、『様』付けで呼ぶ必要は、どこにあるんだ?」
「フン、魔女は人間などとは違うんじゃ。ゴチャゴチャ言うな」
「それを言っちまったらおしまいだろ……別に本気で反論したいわけじゃないさ。要は、様付けで呼ばれるだけの技能と、カリスマ性を持ち合わせた魔女だけが、女王になれる。そういうことだろ?」
「そうじゃ。そして、次に女王となるのは、最有力候補たるこのワシ――」
「いや。無理だろそれは」
「何じゃと――!?」
文字通り真っ赤になり、文字通り噴火して叫ぶマジョリカだったが、相手にしない。
(少なくとも、この程度で取り乱すような奴が――ロクに自分すら支配することができないような奴に、他人を支配することなんざできやしねえさ)
胸中で魔術士の心理をボヤき、仕事を続ける。そもそも、最初から手も足も止めてはいなかったが。
「……それより、君」
と呼びかける相手は、背後で何やらわめき散らしている緑の物体では、もちろんない。それを静かに見つめながら、肩をすくめている小さな《妖精》だった。
もちろん人間ではないし、魔女でもない。おとぎ話に出てくる《妖精》のように、
魔女にはその生涯を共にする妖精が一人、必ず存在する――という。マジョリカが何年生きているかは知らないが、あの精神レベルでは大したものではないだろう……とも思ったが、それは彼女に限ってのだと考えを改めた。どうやらこの妖精は、歳相応に――それこそオーフェンよりどれだけ年上なのか想像もつかないが――成熟した精神を持っているようだった。
無論、魔女にしろ妖精にしろ、自分達人間種族とは寿命が違う。違う時の流れにいるのだから、単純に自分たちの計算に当てはめること自体、論外ではあったが。
「……私?」
名前は、ララといったか。クリーオウと一緒に、じょうろで水を――体中で支える形で持ち上げて――やっている彼女に呼びかける。
「ああ、君だ。その――何だ。ここのお手伝いの子どもたち……《魔女見習い》だったか?
彼女たちはまだやってこないのか?」
「フフン、もう疲れたのか。所詮は……」
ここぞとばかり嫌味を言ってきたマジョリカだが、相手にしない。
「魔女界の存在を
まさかそんな連中に、金銭のやり取りを任せられるはずがない。俺たちより、むしろ君たちのほうが気が気じゃないだろう。つまり結局は、そのお手伝いたちが来ない限り、いつまで経っても店は空けられないってことじゃないか」
「……その通りよ」
素直にララはうなずいた。何もそこまで理屈をひねらなくても、とその表情が語っていたが。ちなみに彼女も、やっぱりマジョリカを無視している。
「でも今日は土曜日――ええと、学校が昼に終わる日、いや『学校』っていうのは……」
「ああ、ごめん大丈夫だ。学校ならわかる」
「……そうなの」
「俺たち三人に限ってなら、ある程度は進んだ――この辺の判断は人それぞれだが、まあ一般的に言えば進んでると思われる文明社会で暮らしている。教育制度だってあった。まあ、その仕組みまで同じとは思わないが。
だから、君たちは普通に話してくれて構わないさ。さっき言ってることと矛盾してるかもしれないが、日常会話なら支障はさほどないはずだ。文化の違いで多少はわからないことが出てきても、こっちで勝手に推察するよ――もちろん、本当にわからなかった時は聞いてみる……って、すまない。会ってすぐに言っておくべきだったな」
その言葉に、優しげに笑ってララは答えた。
「気にしないで。遠慮なくどうぞ」
「ありがとう。俺たちもできるだけ、情報は仕入れておくよ」
「それで、どれみたち――そのお手伝いたちのことだっけ? もうすぐ学校を出る頃だと思うけど……」
不意に表情を暗くしたララに、オーフェンは
「…………ちょっと最近、様子がおかしいの。だからきっと来るのは……」
「ララ! あんなおジャ魔女どものことなど、気にかけるだけ無駄じゃ!」
今度のマジョリカの発言は、聞き捨てならなかった。どういうわけか。
「……おじゃまじょ?」
「『おジャ魔な魔女見習い』――略しておジャ魔女=Bマジョリカが作った、どれみたちのあだ名よ。もっとも、気がついたら魔女界中に広まってたんだけどね……」
「……そうか」
それこそ、気にかけるだけ無駄だった。
(敏感になりすぎてるのかもな……)
先程ララに自分の発言の回りくどさをちょっと呆れられたのも、無理はなかっただろう。
(ま……無理ねえか。別に俺は、昔この《並行世界》にやってきたってだけで、実際に接したことは――暮らしたことはないんだからな)
あの時は、任務任務でそんな暇などなかった。興味がなかったわけではないのだが。
六年前――十四歳の頃。自分がまだ、「キリランシェロ」と呼ばれていた頃。《
「ちょっと、色々あったのよ」
ララが口を開く。少しは説明してくれるらしい。正直それほど、興味はないのだが。
「まあ、あと一回くらいはチャンスがあるとは思っていたけど、まさか本当に成就するなんて誰も思ってなかったら、みんなちょっと荒れちゃってるのよ、きっと。何せ、一生に一度あるかないかっていう奇跡が、まだ十歳にもなってない女の子に振りかかったわけだし。多分、いえ間違いなく、一生分の幸運をこれで使い切っちゃったんだと思うのね。それで……」
「…………はあ?」
本当に、さっぱりわからなかった。何の説明にもなってないのだから当然だが。
「要するに、お師様が人並みの生活を送ることと同じくらいの確率で……」
いつの間にか後ろで話を聞いていた弟子を無言で蹴り倒しながら、オーフェンは言う。
「ええと……色々、複雑なようだな。こっちはこっちで」
と。
その時、辺りをつんざくうめき声が、全てを破壊した。
まさにその声は、破壊の叫びだった。平和も、秩序も、平穏も。有史以来人間が築き上げてきた全ての存在――物理、精神を問わず――が、無意味になる。何もかもを崩す、最悪の音声――それは黒魔術の最秘奥たる物質崩壊、自壊連鎖、情報破壊を持ってしても超えられない威力がある……そう、オーフェンはほぼ間違いない確信を抱いていた。
「あああああぁあぁぁあっっ」
ぶっちゃけて言えば、それは赤ん坊の泣き声だった。
「――ハナ!」
「ハナちゃん!」
叫ぶ魔女(ガエル)と妖精。彼女たちはそのまま、慌てて飛び出した。すると――
「ちょ――っと待ったっ!」
何と、クリーオウまで駆けてきた。じょうろを投げてこちらによこし、後を追う。
しばらくすると、クリーオウの叫び声が聞こえた。
「……やっぱり! オムツ汚れちゃってるじゃない! 換えなきゃ――ちょっと、その何だっけ、ああとにかく緑色っぽい色のイモムシっぽい人! 換えのオムツどこ!?」
「誰かじゃっ!?」
「いいから早く!」
ドバタバドタバタ、物音が響く――そして、泣き声がやむ。
戻った静寂。
「――――!!」
(くそっ……もっと早く気づくべきだった!)
判断ミスを悔やむ。下手すれば、取り返しのつかない失策となる可能性もある……
(あのじゃじゃ馬に、乳児の扱いなんてロクにできるはずないじゃねえか!)
そして、部屋に飛び込んだ。そこにはひと際巨大な木が、とぐろを巻いていた。それは天井にまで達し、外にはみ出てすらいる。シンボルとしてはこれ以上ない働きをしている。天然の広告塔と言えた。が、今、そんなことはどうでもいい――
「クリーオウ! お前――」
「我は駆ける天の
構成を解き放つ。と、その赤ん坊が不意にクリーオウの手から離れて、宙に浮かんだ。重力を中和したのである。
そのままオーフェンは高く飛び上がり、赤ん坊をキャッチした。
着地する。赤ん坊に対する衝撃を、できる限り緩和しつつ。その赤ん坊は、安らかな表情で――
「………………ん?」
わけがわからなくなる。赤ん坊は、どこもかしこも無事だった。自分には赤子の面倒など見たことはないが、オシメが新しいものに丁寧に巻き直されていることは、素人目にも明らかだ。
「何だ、オーフェンさん。クリちゃんが赤ん坊をあやすのが得意だって、何で教えてくれなかったのよ?」
「おおかた、知らん顔してハナの面倒をサボる気だったんじゃろう」
(…………いや、本気で覚えがないんだが)
胸中で、ララとマジョリカに答える。が、実際に口に出していても、結果は同じだったろう。
間もなく、適当に抱えていたハナが泣き出した。クリーオウはそれを見て、静かに微笑みを浮かべる。
「オーフェン」
その笑みには、おそらくこの手の中の赤子の泣き声に匹敵する破壊力があったろう。
「わたし、オーフェンに会う前は、ハウスキーパーやベビーシッターのアルバイトとかしてたんだけど――言わなかったっけ?」
忘れていた。単に彼女が忘れていたという可能性も考えたが、それを証明する手段はない。
「…………おいで」
両手から、優しくハナをひったくる。抱きかかえると、ハナは再び笑い出した。
そして、オーフェンも同時に笑みを浮かべ――これ以上ないくらいひきつった――、ゆっくりと、あとづさる。
そしてクリーオウは、ずっと頭の上に乗っていた黒い悪魔の名を呼んだ。
「レキ」
爆砕。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(ふっざけんなっ!!)
足元の小石を蹴りつけながら、オーフェンは憤怒の表情でうめいた。
(まあ、確かに予想できることではあったさ。確かにあいつ、
(が、俺やマジク――いや、色んな奴に対しての、普段の乱暴癖から考えれば、あのハナとかいう魔女の赤ん坊をエルボーなり延髄蹴りなりして痛めつけて黙らせようとすることだって充分推察できた。だから、俺は悪くない。悪いのは俺じゃないんだ――)
そう、自分に言い聞かせる。自分は決して、悪くない。悪くないのだ――
魔術で店の修理と自分の治療を終わらせたオーフェンは、続いて買い出しを頼まれて街に――「美空町」に出ていた。何故かすれ違う人という人が、自分を避けて歩いていくが、当然だろう。いくら互いの普段着が多少は近しいとはいえ、自分は違う世界の人間だ。文字通りに。自分では気づかないところで、何か異質な雰囲気を出しているに違いない。
根本的な問題に気づかぬまま、オーフェンは歩いていた。いつもの皮肉げな目つきを、際限なく吊り上げながら、ポケットに手を突っ込んで。
と。やけに長かった坂道を登りきり、もらった地図の通りに歩いて到着したのは、学校だった。そのお手伝いたち――マジョリカが言うところの「おジャ魔女」たちの通う学校である。つまり、彼女たちと合流してから、買い出しを済ませようというのである。正確に言えば、買い出しの伝言役が自分だということだ。もともとはララあたりがこっそり伝えに行く寸法だったのだが――あのじゃじゃ馬のせいで予定が狂ったのである。
外観は――何の変哲もない、ただの建物だった。材質こそ違うのかもしれないが、形状だけなら見覚えがあるし、想像もつく範囲内だ。それはもちろん、学校に限った話ではない。道中で目に入った建物のほとんどは、自分たちの世界のそれと酷似していた。
(結局は
師の言葉を引用し、結論づける。これは別に、「住」に限った話ではない。「衣」も、「食」も、ほとんど差異はないようだ。無論、その発想の先もいくつかに分かれるが。
中を見る。子どもたちは、数人に固まったり一人きりだったりしながら……談笑していたり憂鬱そうにしていたりしながら……つまりは、ごく普通に下校していた。その光景も、やはり変わりない。もっともオーフェン自身は、それほど「学校」というものに縁はない――普通の学校という意味で。自分が少年時代を過ごした魔術士養成所《牙の塔》は、色々な意味で規格外だった。
(……で、だ)
ポケットの中の写真を取り出す――一人目は、何というか、変わったというか……どうやって作っているのかは知らないが、その手間はおっそろしくメンドくさそうなことは明白な、お団子を左右の頭につけたような髪形の、赤髪の子ども。
二人目は、オレンジのリボンを後ろにつけた、ポニーテールの茶髪の眼鏡の少女。見た目は知的っぽいが、それは「知識」であって「知性」ではないような……そんな雰囲気を持っているようにも見えた。実際は、どうだかわからない。違うのかもしれない。とりあえずはっきりしていることは、何故向かって左側だけ前髪をたらしているのかが不可解なことだが。
三人目は、セミロングの青い髪の少女。動きやすそうなオーバーオールを着、かつ勝気そうな目は余程活発そうなことを連想させるが、いずれにしろあのじゃじゃ馬にかなう奴はほとんどいまい。そうそう額。その広さは置いておくとして――自分だって人のことはちょっぴり言えないから――、何故、一本だけ髪がはねているのか。触覚か何かなのか。やはりそれで精霊ルヒタニ様か何かと交信しているのか。興味は尽きない。
尽きないといえば四人目。こちらの額には、三本の短い触角――前髪が垂れている。首の辺りで、紫の髪を切りそろえている。向かって右上だけ髪を束ねており、その形状はフックか、それとも八分音符のはねた部分を体現しているつもりなのか。そしてその顔に浮かぶのは、端整だが作られたような笑顔。どんな生き方をすれば、九歳そこらの少女がこんな表情を作れるのだろう。これで精神制御までできると言われたら、自分が師から叩き込まれ、その意味に苦しんできたことは一体何だったのか、本気で落ち込んでしまいそうだった。
……そんな、四人の
そう、彼女たちは人間種族だった。魔女ではない。
それが何故、この若さ――皆九歳らしい――で、魔女見習いなどをやっているのか。
例えば、《塔》ならそう珍しいことではない。多くの幼い子どもを引き取って魔術士として育て、王都に宮廷魔術士を何百人も輩出している。だが、あの魔女界が牙の塔に匹敵する影響力を持つ機関であるとは、とても思えなかった。《塔》にだって機密は吐いて捨てるほどあるが、その存在そのものが機密と化している魔女界に、異世界かつ異種族の子どもを《魔女》として育てるメリットはどこにあるのか?
……おっと、忘れるところだった――もう一人いるのだ。仲間外れにされるのを怖がってるから気をつけて、というララの説明を思い出す。なるほど、先の写真――新装開店記念として撮ったものらしい――にその姿はなく、別の写真を渡された辺り、事情が知れた。
先の、ええと、何というか、変わったというか……どうやって作っているのかは知らないが、その手間はおっそろしくメンドくさそうなことは明白な、お団子を左右の頭につけたような髪形の少女――の、妹。彼女も魔女見習いらしい。こちらの髪型はピンク。しかも、左右にはお団子ではなく、羽のような手羽先のようなはね毛がついていた。これもわざわざ作っているのか。それも気になるが、その年齢も特筆だった。幼稚園の年長組――五歳児らしい。しかも魔女見習いになったのは一年前。つまり四歳の時だ。さすがにこれは、《塔》でも相当幼い部類に入る。色々事情があるようだが、自分だって《塔》の門をくぐったのは六歳の時だ。疑うなというほうが無理だ。
(あの力――こっちでは普通に《魔法》と呼んでるようだが、にしたって子どもが持つには大きすぎる力だろう。それを五歳の――いや十歳だって早すぎるくらいだ。そんな子供たちが、見習いとはいえ《魔女》だと?)
(マジョリカたちを見るだに、この子供たちに対して、きっちり制御させるための徹底した教育を受けさせてるとも思えないんだが……一体、何考えてやがるんだ?)
まあ、自分たちとは全くかけ離れた価値観にある世界だ。気にするだけ無駄だろう――考えをやめ、オーフェンは校門の前で待ち続けることにした。
公開日:2002年10月10日
第一次修正:2003年07月08日