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     ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 にへらあ。

 そんな書き文字が、はっきりと見えていた。

 ……それくらい、この少女の表情がゆるみまくっているということだ。

「あははははあ……」

 全くもって意味を成さない言葉が、しかし全てを雄弁に語っている。

 この少女は……とてつもなく幸せな状態なのだ。

 夢うつつの状態で、フラフラしながら歩いているその彼女の…ええと、何というか、変わったというか(中略)左右のお団子が揺れていた。

「しょうがないわね……」

 そんな彼女の背中を支えながら、違う少女がつぶやく。ため息と共に。

「どれみちゃんが今週関先生に立たされるの、今日で3回目よ……? それなのに、本人全くこたえてないし……」

 何だか力の抜けるような声で、二人目の少女――藤原はづきが嘆息する。

「これじゃあどれみちゃん、今日もMAHO堂には行けそうにないわね……」

「ちょ待ちぃや」

 そう呼び止めた声は、対照的にはっきりとした声音だった。これは少々力みすぎているようにも思えたが、その原因は考えるまでもない。

 両拳を固く握り締め、「どれみ」という名の少女の目をまっすぐに見つめる。そして――それが最後の理性となった。

「いっくらどれみちゃんでもな……これ以上MAHO堂を休ませるわけにはいかへん!」

 案の定というか……かろうじて抑えられていた感情は、あっさりと露出され始めた。

「あいちゃん、落ち着いて……」

「はづきちゃんは黙ってて! あたしは冷静やで!」

 怒鳴って言い返しても、説得力はない。まあ、子どもにそんなことを求めても仕様がないが。

 ともあれ、険悪なムードは否定できそうになかった。

 が。

「……あはあ」

 それでもなお、少女は――一人目の少女は――

 春風どれみは(・・・・・・)笑っていた(・・・・・)

「!!」

 三人目の少女――妹尾あいこが、言葉を詰まらせた。

 みるみるうちに顔は高潮し、興奮は増加の一途をたどる。

「ええ加減に……せえよ……!!」

 もう……抑えられない。

「……これでもう一週間も、MAHO堂休んでんねんで!! なんぼ彼氏(・・)ができたかて、限度っちゅうもんがあるやろ!?」

「あいちゃん……」

 はづきはどれみとあいこの間に入り、二人を交互に見つめながら、結果的には首をぶんぶん振っている形で――要するに、オロオロまごまごしていた。それは彼女の奥手な性格からくる要因もあるようだが、この時はむしろ彼女自身もあいこの言い分に納得しているから、とも思えた。無理もないが。

「大体、な……」

 と、不意にあいこの表情が変わる。それは、我に帰ったというより……

「……ハナちゃんの世話はどないすんねん」

 自分の発言の重みに、押しつぶされそうとしていたとしか思えない表情だった。顔を伏せ、目を見つめることすらできていない。

 終始、虚ろだったどれみの瞳に……光が宿ったようにも思えた。何らかの、意志の光が。

 すなわち――それだけあの「ハナ」という赤ん坊の存在が、彼女たちにとって非常に大きな比率を占めている、ということなのであろう。だからこその、あいこの怒り、そして哀しみ。それがわかっていたから、はづきもまた言葉に詰まっていた。今も。

 が、次にあいこが言った台詞は、だとしてもあまりに酷な内容だった。

「あ、そうや! その彼氏を、どれみちゃんがMAHO堂に連れてくればええやん!」

 刹那(せつな)、どれみの表情に影が刺す――これ以上ないくらいに。くぐもることすら多かったが、確かにピンクの光彩を放っていた瞳は今や黒ずみ、併せて指先も足元も痙攣し出す。つまり、彼女は怯えていた。触れられてはならない急所に向けて、相手の拳が迫っているような、そんな感覚。

 それに気づいているのか、いないのか。あいこは続けた。そのまま。

「そうすれば、ハナちゃんのこともMAHO堂のことも一度に解決できるし、どれみちゃんもずっとその彼氏と一緒にいられる。何や、最初っからそうしておけば問題なかったやん。何で今まで気づけへんかったんやろ」

 いや、気づいているのだろう。彼女は。その拳を相手の泣き所に伸ばし、到達するまでの、軽い高揚感。どちらかといえば、こちらの自覚の有無のほうが怪しい。その正体を自覚して味わっているのか――すなわち、その罪悪を自覚しているのか。あるいは。

 ともあれ彼女は続ける。どのように聞いたとしても、わざとらしさは――悪意は否定できない口調で。

「それに、あたしたちやマジョリカ、ララ、そして何よりハナちゃんに、いっぺんに彼氏を紹介できるし……ってことは、一石三鳥やな〜」

 彼女は、決して断言してはいない。しかし、それでも発言には必ず何らかの「意図」というものがある。先のどれみの、何ら意味のないつぶやきと同じだ。言葉の意味をそのまま解釈するのではない。その言葉の裏に潜む意味を、人間は感じ取るのだ。

「何せ、大親友≠フあたしたちにすら(・・)、今までいっぺんも紹介してもらえへんかったご自慢の彼氏や。ええ機会やん――」

「あいちゃん!」

 際限なく増え続けるかに見えた悪感情のうねりを押しとどめたのは、肩に乗せられた手と共に放たれた、その言葉だった。あたかも魔術の構成を叩きつけるかのように発せられたその言葉は、確かに「魔術」といういささか大げさな比喩をあてるにふさわしいだけの効力があった。

 透き通るような声――その紫色の瞳の輝きと同様に、吸い込まれるような魅力が、そこにはあった。そしてそれはあいこだけでなく、はづきにも、どれみにも及んだ。いや、それだけではない。周りにいた児童たちの注目もまた、集めていた。

 向けられる無数の――さすがにこれは大げさすぎか――視線。が、それにたじろぐ様子すらない少女は、これまで黙り込んでいた分を取り返すかのように、しかしそれでも要点を絞りに絞って、一言つぶやく。

「言いすぎよ」

「……おんぷちゃん」

 たった一言だったが、その効果は絶大だった。親友の――四人目の少女たる瀬川おんぷの名を呼び、それを起点にするかのように、頭に上っていた血の気がすぅと引いていくのを、確かにあいこは感じていた。今しがた間で自分が行った発言を振り返り、その意味をかみしめ――

 気がつくと、全く違う感情が爆発していた。

「……ごめんっ! 堪忍してや、どれみちゃん!」

 深々と、頭を下げる。再び握られた両拳だったが、その拳が振るわれるべきなのは、今は自分だ。

 自分は……親友を疑った(・・・・・・)のだから。

 沈黙が訪れる。おんぷも、これ以上口を開かない。感情の見えない表情で、3人を見つめていた。それはあたかも、自分はこの輪の中の人間ではないかのようにすら見えたが。

 耐え切れなくなったのは……

「…………もう、いいよ」

「……どれみちゃん?」

 呼びかけるはづき。おんぷに(なら)って、肩に手をかけようとするが――

「もう、いいよっ!!」

 その手を払いのけ、たまった涙と感情全てを弾き飛ばして、叫んだ。

「あたしに彼氏ができたってことが、そんなにおかしいの!? あたしがハッピーになって、そんなに珍しいの!?」

「どれみちゃんっ、私たち、そんな意味で言ったんじゃ……」

 はづきが必死に呼びかけるが、もはやどれみは応えない――今の彼女にあるのは、失望だけだった。自分の幸せが呼んだ、失望。一見矛盾しているようだが、それは決してあり得ないことではない。

 あるいはそれは、幸せを手に入れたことだけで満足したがための結果、と言えなくもない。作り上げたものは、いつしか滅ぶ――絶対に。よって、それをどうやって活かすかが肝心となる。手に入れることだけに、意味はない。

 九歳の子供に、そこまで求めること自体にやはり無理があるのは、わかっていたが。

「そうでしょ!? だってあたしに彼氏ができたことで、みんな変わっちゃった――あたしを見る目もよそよそしくなったし、楽しい空気も一気になくなっちゃった……。はづきちゃんたちだけじゃない、小竹たちクラスのみんなも、みんなあたしを遠ざけてるんだよ!? 何で彼氏ができたからって、みんなに嫌われなきゃいけないの!? みんな喜んでくれると思ったのに……もっと仲良くやっていけると思ったのに!」

「どれみちゃん……」

「…………」

 あいこもおんぷも、かける言葉が見つからない。

 泣き叫ぶどれみは、完全に平静を失って、ただただ言葉を吐露し続けた。たまっていた感情は、今の会話から始まったわけではない。

 あの時――自分に本当に(・・・)彼氏ができたという事実がクラスで明らかにされた瞬間から、その場に息詰まるような空気が生まれた。あからさまな悪意をもってからかう者もいれば、引きつった笑顔で必要以上の気遣いをしてくる者もいた。それからずっと……ためこんでいたのだ。

 終始、にやけた顔を解かなかったのではない。解くことができなかった(・・・・・・・・・・・)のだ。そうでもしていないと、彼氏のできた自分が幸せであると思えなかったから。

「わかったよ……あたしは彼氏ができたって、やっぱり世界一不幸≠チてことなんでしょ!?」

 その「世界一不幸」という、やけに大仰な言葉の意味――本来は、冗談交じりのものだという。

 未熟な精神が、自分の思い通りにいかない――ことが当たり前の――現実を受け入れるための、通過儀礼。理不尽な――ことが当たり前の――我慢に対する、防衛機制。そのために、己を「不幸」と称するのだ、と。

 が、今のそれは明らかに違った。尋常でない悲壮感が、そこには含まれていた。

「どうやったって、どうあがいたって、あたしは世界一不幸≠チてことなんでしょ!? やっと幸せになれたと思ったら、今までの幸せが逃げていく――決して幸せにはなれない、世界一不幸≠ネ美少女なんだって! 今日だって宿題余計に追加されるし、魔法の実の(はち)植えも芽が出てきただけだし、ステーキだってもう一年半も食べてないのも不幸だし……あああああ、あたしってやっぱり世界で一番――」

「ぃやかましいわああああっ!!!!」

 そんな絶叫と共に。

 三人の少女は、目の前で泣きじゃくっていた親友が目の前からかき消える瞬間を、確かに見ていた。

 換わりに目の前に現れたのは、黒ずくめの見覚えのない青年だった。黒髪短髪、中肉中背の、何ということはない青年。ジャケットもズボンも黒ずくめ。額には赤いバンダナが巻かれ、胸元には銀のペンダントも見えた――が、そのペンダントは首にかけられた鎖をめいいっぱい伸ばしながら、宙を舞っていた。剣にからみついた、一本脚のドラゴン。その体様がはっきり見えたなら、その者は相当の動体視力の持ち主だろう。そしてその紋章が、キエサルヒマ大陸黒魔術の最高峰《牙の塔》にて学んだものの証――すなわち、力ある魔術士であるという何よりの証明であると気づいた者は、少なくともこの場にはおるまい。

 よって、誰も、その意味は知らない。いきなり現れ、お団子頭の少女を鉄骨を仕込んだブーツで蹴り飛ばした、その本人以外は。

『……………………』

 絶句する三名、そして見物人。彼女たちがその見覚えの全くない目つきの悪いヘンな黒い男へ一斉に視線を送る中、その見覚えの全くない目つきの悪いヘンな黒い男――オーフェンは。

「あ、まずい――」

 はっ――と我に返って、たった今蹴飛ばした女子のほうを見つめて、慌ててうめく。

「思わずとっさのことで、久々に福ダヌキや某無能警官用の対応をしちまったが……さすがに子ども相手にゃマズかったな。手加減はしたつもりだが――生きてっかな」

「つもり…………って」

 真っ青な顔で、はづきがつぶやく。眼鏡を曇らせながら。

 気にせずオーフェンは、駆け寄った。丸く刈られた小さめの植木に、ものの見事に突き刺さっている、その子どものほうに向かって。

「ううう…………」

 彼女は、何かをうなっているようだった――その頭の中では、彼女の幼い精神の中で一所懸命、自分とは何か、幸せとは何か、そんなことを考えているのだろう。そう、オーフェンは勝手に判断した。手を差し伸べる、と。

「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも――」

「ますます関係ないっ!!」

 思わず、とっさに蹴ってしまった。再び。

 ゴロゴロ草むらを転がって、彼女は。

「わた〜しぃって、わた〜しぃって、せかぁいいち不幸〜〜♪」

「しかも何故唄うっ!?」

 三回目の蹴りが入った。

 いい加減、沈黙したらしい――オーフェンはため息一つついて、近づいていった。

 魔術で癒さねばならないほどの傷を与えた覚えはない。一応。だが、それでも相手は子どもだ。満足に受身も取れやしない。よって、近くで損傷の程度を確認する必要があると判断したのだ。

 が……そうでもなかったらしい。存外に、丈夫にできているようだ。ちょっと感心しつつ、オーフェンは黒革のジャケットのポケットからハンカチを取り出した――のだが。

(…………あ)

 その手縫いのハンカチは、まあどうということのない、ただのハンカチーフだった。よく見れば、所々に糸が通された跡――あたかも何かの当て布にされたものを、わざわざ外して体裁を無理やり整えたかのような――があり、ボロボロに見えなくもない。

 しかし、オーフェンにとって、それは特別すぎる意味合いを持っていた。

(……だが、まあいいか)

 でもまあ、既にズタボロなわけだし、そもそも自分のほうにだって非はほんのちょっとはある――ような気がした。とにかくかすかにそんな予感がするので、念には念を押して、というわけでハンカチを渡す。

 とりあえず、まず何より彼女がせねばならないことは、顔面から突っ込んで泥だらけになったその顔を何とかすることだろう。拭いた後、即座に返してもらえばいい話だ。

 と。彼女は――どれみは、ハンカチをやや強引にひったくった後、急いでごしごしごしごし顔を拭いて、ついでに上着の泥を払おうとしたところで、一言。

「…………もう一回くらいネタを見せたほうがいいッスか?」

「えーと、俺に聞かれても……」

「じゃ、キリのいいところで二回。計五回とか」

「いや、やめとけ。むしろお前のために」

「そうッスか」

 納得したらしい。彼女は立ち上がり、ピンク色のキュロットをはたきつつ――ふと気づいた。

「で……………………あなた誰っ!?」

「遅ぉぉいっ!!」

 飛びのき、人差し指を突きつけてくるどれみに、オーフェンはキツめの目つきをさらにキツくして叫ぶ。

「大体いきなり現れておいてヒトに飛び蹴りかますなんて――はっ! まさかあなたも、あたしを世界一不幸な美少女に墜とすためにこの世に生を受けた刺客その三十二!?」

「いや……何かを期待して生まれてきた覚えはないが、もーちょっとマシな理由を望んだってバチは当たらんと思うぞ」

 オーフェンは、何やら複雑そうな表情を浮かべた後。

「ともかくっ! さっきから聞きたくもねえ口ゲンカを聞かされてたと思ったら、一体何なんだ、その『世界一不幸』ってのは!? お前がどれぐらい不幸なのかは知らんが、少なくともお前よりよっぽど『世界一不幸』っぽい連中を、俺はヤというほど見続けたぞ!?」

「ええっ!?」

 今さら気づいたように、どれみが目を見開く。

「この広い世界にはやはり、あたしと同じよーな目に遭ってる同志たちが――となれば、これは"世界一不幸"な人たちを一堂に集めて、『世界一不幸の会』か何かを作ってお互いの傷をなめ合ったりなんだりするしかないっしょ!」

「作るなっ! ンな不健康かつ不吉な会っ!」

「もちろん会長はあたしっ!」

「ますますやめいっ!」

「じゃ……仕方ない。二つしかない副会長の座のうち、一つはあなたに譲るとして――」

「俺を巻き込むなあああ!!」

 力の限り絶叫し、頭を抱える。このテの人間とは、今までの人生の仲で幾度となく相対してきた――己が望もうと望むまいと。自分が「オーフェン」になる前も、なった後も。が、いつまで経っても慣れることはないだろう。決して。

 そもそもこのテの人間と、まさかこっちの世界でも縁があるとは……深い失望を覚えながら、静かにオーフェンは悟った。これまで培ってきた全ての技術は、その運命とやらに抗うためにあるのだと。そして誓う――力の限りを尽くして、その運命とやらに必死で戦いを挑むことを。

 その果てなき道の第一歩として、論点を変える。

「そもそもだ! 『世界一不幸』という単語も個人的に非常に聞き捨てならないが、その後の単語も不可解だ! 何が『()少女』だ!? うぬぼれるにも程があるぞ!? ンなタワゴトはその壊滅的にヘンな髪型を是正してから言いやがれっ!」

「なっ――何てこと言うのよ!? この二つのお団子にはね、深い深〜い理由があるんんだからね!」

「へえ――じゃあ説明してもらおうじゃねえか。ああ?」

 ジャケットのポケットに手を突っ込んで、目を吊り上げて凄んでくる黒い男に、かなりビビりつつもどれみは語った。

「それはあたしがまだ小さかった頃――」

「今も小せえよ。充分」

「うるさいな、黙って聞いててよ。病気で倒れたあたしは、救急車で運ばれていた……でも途中で後輪が道のぬかるみにはまって、動けなくなったの……」

 胸に手を当て、陶酔しきった様子で語るどれみ。が――どういうわけか、次の展開はいつまで経っても彼女の口からは発せられない。

 オーフェンはとりあえず黙って待っていてやったが……三十秒ほど経ってから、問う。

「…………どうした?」

 打ち所が悪かったのか、急に体調を崩したのかもしれない。だとすれば、早急な手当てが必要だろう――一瞬そう思ったが、彼女は。

「……ええと」

「?」

「続き――」

「続きが?」

「…………何だっけ」

「知るかああああああ!!!!」

 跳躍して、力いっぱい拳を叩きつけた。

 顔面をモロに強打され、どれみはびたんと仰向けに倒れこんだ。

 が、思いのほか早く復活し、座り込んだ格好で。

「……何すんのさあ! 馬鹿あっ!」

「お前が言うなっ、馬鹿たれええっ!!」

 即座に捨て台詞を言い返され、どれみは走り出した。心配してるんだか呆れてるんだかよくわからない親友三人を素通りし、ついでにギャラリーの中でひと際興味深そうにこちらを見つめていた短髪の少年――何かのユニフォームを着ているようだが――をも素通りし、校門へと一直線に駆けていく。

 その彼を何となく視界に入れながら、オーフェンは。

「ったく――」

 舌打ちして、毒づく。

「あの馬鹿たれはほっとくとして――さて、どうやってあの三人に説明したもんか……」

 そして、振り返った。眼鏡の少女――はづきは、明らかにおびえている。対照的なのがオーバーオールの少女――あいこで、こちらをじっと(にら)みつけている。残る一人――おんぷは涼しい顔をしていたが、どうやら内心ではこちらを警戒しているらしい。その表情に、ほんのわずかだが緊張感が見て取れた。この場にいる人間では、オーフェン以外に気づける者はいないだろうが。

 すると――

 おもむろに、はづきの眼鏡がキラリと光った。フレームを抑えながら、何かに合点したような様子で、つぶやいた。

「そう……そうだったのね」

「…………何が?」

 不意の親友の怪行動をいぶかって、あいこが聞いてくる。

「……わかったの。これで、全てがはっきりしたわ」

「だから何が」

 再び問うあいこをよそに、はづきは絶対の確信をもって言い放った。その、今まで親友と激論――だか何だか――を戦わせていた黒い男を、すなわちオーフェンを見据えて。

「――あなたがどれみちゃんの彼氏だったのね!?」

「違うわあああああああああ!!!!!!」

 絶叫が、校内を――いや、街を満たしていた。その街ごと魔術で吹き飛ばしたいという衝動を必死に抑えながら、オーフェンは声が枯れるまで叫び続けていた。



     ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「はーっはっはっは!! ひとまずは、大した度胸だと褒め殺しておくぞ、少年!!」

 何故か古ぼけた剣をかつぎ、毛皮のマントにくるまった子ども――いや、《地人》という矮人(わいじん)種族なのだが、そんなことはこちら(・・・)の世界のほぼ全ての人間が知らない――が、大声を上げる。何も語らない――というより、相手の格好や言動に呆然として絶句しているだけだが――その目の前の少年に向けて指をさし、再び声を張り上げた。

「この"マスマテュリアの闘犬"ボルカノ・ボルカン様をして、このよーな見たことも聞いたこともない世界に引きずり込み殺すことができたとは中々の腕前! だがしかし、肝心なことを失念し殺していたようだな、少年よ……」

「ねえ、やめとこーよ兄さん。どう考えても、こんなことしてる場合じゃ――」

 のろのろとその兄に近づいて、うめき声のようなものを上げている子ども。いや、やはり地人なのだが。格好は兄と似たようなものだが、こちらは分厚い眼鏡をかけている。牛乳瓶の底のような。

「それはっ!! この俺がマスマテュリアの闘犬<{ルカノ・ボルカン様であることを忘れていたことだっ!! さあこの最強英雄ボルカンの最強英雄的反撃に最強英雄的に撃墜され殺されたくなくば、とっとと元の世界に帰らせ殺してくれよう……って、ありゃ?」

「ほら、動揺しきっちゃってもうしどろもどろになってるじゃない。やめようよ兄さん……」

「もう、何でもいいから――」

 と。そこにいた少年が、幅涙を流しつつ叫んだ。ただ、唖然と立ち尽くしながら。

「何が起こったのか、何でこんなことになったのか、誰か説明してくれえええ!!!!」

 完全に瓦礫(がれき)と化していた自分の家の前で叫ぶその少年だったが、大体この九ヵ月後くらいに、こんなものなど比ではない悲劇が始まるということは、まだ知らない。

《月》を惹きつける《地球》となる宿命(さだめ)≠背負った、心清き$l間たるその少年が今できることは、何もかもを忘れて、割れんばかりの声をただ叫び続けることだけだった。



 そして……彼はやはり九ヵ月後――来年の春、《MAHO堂》の門を叩いたことでますます悲劇の泥沼にハマっていくのだが、それはまた別の話。


公開日:2002年10月10日
第一次修正:2003年07月08日